【社説】人生の最期をよりよくするために

【社説】人生の最期をよりよくするために

東京・福生市の公立病院で人工透析を中止した患者が死亡した。この問題をどう判断するかは調査結果を待つ必要があるが、透析に限らず回復が見通せないままに長く続く治療は多い。
人生最期をどう迎えるか判断を迫られる場面は誰にも訪れうる。納得のゆく最期のためにどうすべきか、この機会に点検したい。 

国・学会の指針生きず
医療技術が高度化し、かつては「不治の病」と言われていたような病気でも、新たな治療法や症状を安定させる方法が相次ぎ開発されている。だが、すべてが患者にとって生活の質(QOL)向上につながるわけではない。
人工呼吸や経管栄養などを含めて延命治療をするのか、またそれをいつまで続けるのか、悩みは尽きない。医療やケアを提供する側も、患者・家族も、答えの出ない日々を過ごしているケースが少なくないのではないか。
がん、心臓病、神経系の難病などで不幸にも回復をみないまま人生の幕を閉じざるを得ないこともある。日本人の長命化が進むなかで、最後まで納得できる医療やケアを受けられるか、問題は重要さを増している。
延命措置の中止や終末期医療に関する何らかのルールが必要だとする議論は、1990年ごろから活発になった。厚生労働省は2007年に「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン(指針)」を作成した。
基本に据えたのは、患者本人の意思の尊重だ。そのうえで、さまざまな専門職で構成する医療・ケアチームによって医療の内容が医学的に妥当で適切かを慎重に判断する、などと規定している。
18年の改訂版では患者・家族や友人、医療・ケアの専門家らが最期について繰り返し話し合う「アドバンス・ケア・プランニング」の重要性を盛り込んだ。誰もが納得できる医療やケアを探る手法として評価できる。
指針は多くの場面に応用できる一般的な手続きをまとめたもので、具体的な医療・ケアの行為にまで踏み込んでいない。日本救急医学会、日本集中治療医学会、日本透析医学会などが別途、指針をつくって補っている。
しかし厚労省の指針は医療現場などであまり使われていないのが実情だ。指針を知らない医療関係者も多いという。学会の指針にも強制力はなく、十分に活用・順守されているとは言い難い。現場の声をもとに、不断に見直し活用を促す柔軟さが欠かせない。
専門家と患者・家族などに限らず、できるだけ広い層の感覚をつかむことも役立つ。学会の公開シンポジウムなどで人生の最終段階のあり方を広くテーマにしたり、国の審議会で折に触れ議題として取り上げたりしてはどうか。
アドバンス・ケア・プランニングの必要性は理解できても、時間や人材が足りず対応できない場合もあろう。現在、がん治療の拠点病院が先行実施している。大規模な病院でもぎりぎりの人員で運営している。
国と教育・医療機関などが連携を深め、人材育成を急ぐべきだ。その際は病気の治療だけでなく、体調の維持管理、生活習慣、仕事継続の可否などの相談にのるトータルケアを重視してほしい。
医学教育の現場では最先端の研究・治療に人気が集中しがちだ。研究者にとっては論文を多く出せるし、臨床現場のニーズも高い。偏りを直すにはアドバンス・ケアなどに率先して取り組む人材の評価と待遇を高める工夫がいる。 

ケア充実へ人材育成
この分野の知見を持つ人材は、病院などで治療やケアの妥当性を話し合う倫理委員会の委員としても活躍が期待される。倫理委の質を高めれば、医療やケアの提供者への不信を減らせる利点がある。
18年度の診療報酬改定で、厚労省は終末期の在宅患者への訪問診療や訪問看護について加算するなど、医療・ケア体制の充実に乗り出した。治療の方針に関する患者・家族の意思決定を支援することを条件にした項目もある。
このように、診療報酬政策を使った体制の充実は、さらに推し進めていいだろう。また介護保険制度のなかに、最期の迎え方に関する相談やケアをいま以上に組み込む考え方もある。
人生の終わりは誰にでもやってくる。専門家だけに任せるわけにはいかない。一人ひとりが、わが身のことと考え、日ごろから最期の迎え方についてさまざまな場面を想定し、周囲と話し合う。その大切さは言うまでもない。

(日経新聞)



とんちんかんな的外れが多くなった各紙社説の中で、久々に共感できる内容です。
by kura0412 | 2019-04-08 14:24 | 医療全般 | Comments(0)