『菅官房長官の「官僚支配力」は、なぜここまで強くなったのか』

菅官房長官の「官僚支配力」は、なぜここまで強くなったのか
その息づかいまで霞が関は気にする

菅の息づかいまで気になる
第2次安倍政権が発足して4年余、官邸主導による政権運営が強化されるとともに、首相・安倍晋三、官房長官・菅義偉の役割分担が進んだ。
衆院解散・総選挙時期など重要な政治日程は時に首席総理秘書官・今井尚哉を交えて話し合っているが、主に安倍が外交・安全保障を、菅が国内政策を、それぞれ担っている。
もちろん、菅は安倍の了承を得た上で進めている。とはいえ、菅が調整・決定したことは、私が気付いたことだけでも、税制、農協改革、超高額の抗がん剤「オプジーボ」などの薬価……と広範囲に及ぶ。
財務省や経済産業省など各省幹部は口をそろえてこう語る。
「霞が関の官僚はいまや、菅の息づかいや表情まで気にしている。どの省庁でもそうだ」
「税制を決めているのは自民党税制調査会ではない。菅長官だ」
それぞれ担当閣僚がいるのに、菅の力がなぜこれほど強まったのか。

官僚の人事権を完全掌握
内閣官房長官は1885年12月の内閣制度発足から戦後の1947年5月に現在の名称に改められるまで「内閣書記官長」と呼ばれた。当時、内閣職員の筆頭という程度の位置づけだった。
国務大臣を充てると規定されたのは66年6月の佐藤内閣でのこと。官房長官という閣僚ポストはたかだか半世紀の歴史しかない。外務省、大蔵省(現財務省)などの大臣が内閣制度発足当初から設けられていたのに比べ、その歴史は浅い。
にもかかわらず、絶大な権限を行使できるのは官房長官が「内閣官房の事務を統轄」(内閣法第13条)し、内閣官房は次の事務をつかさどることになっているからだ(同12条)。
「閣議事項の整理その他内閣の庶務」
「内閣の重要政策に関する基本的な方針に関する企画及び立案並びに総合調整に関する事務」
「行政各部の施策の統一を図るために必要となる企画及び立案並びに総合調整に関する事務」
要するに、国政全般に何でもかかわることができるようになっている。
どの程度かかわるかは時の首相や官房長官の方針によって変わる。言い方を変えれば、官房長官に就任した人物によって仕事の範囲が変わる。
大臣の中で官房長官だけが首相官邸内にいて、首相と頻繁に打ち合わせができる。官房長官室は首相の執務室と、記者には見えない内廊下で結ばれ、その距離は数十メートルだ。
官房長官の「霞が関支配」をより強化したのは内閣人事局の設置だ。
菅が政治の師と仰ぐ元官房長官・梶山静六は橋本内閣時代に官邸に「人事検討会議」を設置し、各省庁の幹部人事が閣議にかけられる前に口を出せるようにした。

2014年5月末に発足した内閣人事局はこれを制度化。対象も局長級の約200人から審議官以上の600人に拡大し、国家公務員の幹部人事を一元管理できるようにした。
人事局の担当大臣は国家公務員制度担当だ。現在なら山本幸三だ。だが、人事局長は官房副長官。官房副長官3人の中でも衆院議員の副長官が就任し、初代が加藤勝信(現一億総活躍・働き方改革担当相)、2代目の現在が萩生田光一。
副長官は首相や長官の指示に従うわけだから、安倍や菅は霞が関官僚の人事権を持っていると言える。事務次官が大臣に人事案を示し、了承を得ればそれで決まりという時代ではない。

「これって、おかしいでしょ」 
こうした権力掌握システムが出来上がっていても、実現できるとは限らない。第1次安倍政権時代、人事局を除いて同じシステムだったが、官房長官は厚生労働大臣の塩崎恭久。塩崎は細部にこだわり、1次政権が行き詰まる原因になった。
官房長官に充てられる人物には、主張の正しさ、どんな抵抗に遭っても主張を貫く胆力、そして、この人がそこまで言うならやむを得ないと思わせる「人間力」がなければならない。
「これって、おかしいでしょ」
この言葉を、菅から最初に耳にしたのはたぶん、2002年1月、国土交通大臣政務官に就任した当時だ。
当選2回で初めて政府の要職に就いた菅は自動料金収受システム(ETC)の料金が高いのはおかしい、と言って、料金下げによる普及と、ETCを利用した高速道路の深夜料金引き下げを実現した。
これ以来、菅が「おかしい」と言って変えていく姿を何度も目撃した。行政の改革者として菅を見る時、官房長官というポストは菅には最もふさわしいと言えるだろう。

【ニュースの深層・田崎史郎】
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