日本の歯科界を診る(ブログ版)


コラムニスト・鞍立常行が日本の歯科界に直言
by kura0412
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『新潟「野党勝利」で高まる解散総選挙の現実味』

新潟「野党勝利」で高まる解散総選挙の現実味
与野党とも次々に「禁じ手」を繰り出している

10月16日に投開票が行われた新潟県知事選は、日本共産党、社民党、そして生活の党と山本太郎となかまたち(以下、生活の党)が推薦する米山隆一氏が、前長岡市長で自民党と公明党が推薦する森民夫氏を下して初当選した。
UX新潟放送21などが当確を打ったのが午後9時すぎで、大接戦と言われていた割には決まるのが早かった。米山氏はさっそく9時19分に支持者が待つ選対事務所に姿を現し、万歳した後にこう述べた。「勝利は第一歩。これからがスタートだ」。

米山氏の出馬は5度目
その第一歩までが長かった。米山氏が初出馬したのが2005年の郵政選挙で、自民党公認候補として田中真紀子氏と新潟県第5区の議席を闘った。この時、まだ大きな影響力を持っていた田中氏に約2万2000票差まで迫ったが、落選。2009年の政権交代選挙でも、田中氏に約1万7000票差で敗退している。
さらに2012年の衆院選と2013年の参院選では、日本維新の会(当時)から出馬して落選。そして5回目となる新潟県知事選で、米山氏はようやく念願の当選を果たしたわけだ。
だが今回の新潟県知事選も、決して楽な選挙ではなかった。自民党と公明党が推薦する森氏は長岡市長の5期目で、全国市長会会長も務めた実力者。連合新潟など柏崎刈羽原発再稼働推進派の支援も得ていた。

9月29日に告示されたこの選挙戦。潮目が変わったのは、選挙戦の後半だった。
当初はリードしていた森氏を米山氏がどんどん追い上げていったのだ。その原因として、優勢だった森陣営が油断していたこと、森氏を支援していたはずの一部業界が動かなかったこと、そして米山氏が脱原発の1本に絞ったのに比べ、森氏の公約が67本にも及び多くの県民にとってわかりにくかったことなどが考えられる。
慌てた自民党は選挙戦終盤に、三原じゅん子参院議員や今井絵里子参院議員など著名人を相次いで新潟県に投入。二階俊博幹事長も12日に新潟に入るなど、党を挙げてテコ入れした。
一方で、勝ち馬に乗ろうとする民進党は「自主投票」という縛りがない状況の下で、各議員が次々に新潟入りした。
「原発ゼロの会」の共同代表を務める近藤昭一民進党副代表は早くも5日に新潟入りし、7日には松野頼久衆院議員が志位和夫共産党委員長、福島みずほ社民党副党首、小沢一郎生活の党とともに新潟駅前で街宣車に乗り込んだ。さらに10日には前原誠司元外相も新潟入りして、小池晃共産党書記局長や又市征治社民党幹事長とともに米山氏の支持を訴えている。そして11日にはとうとう黒岩宇洋民進党新潟県連会長が米山氏の応援に立ったのだ。

自主投票の民進党県連会長が米山氏を応援
そもそも党本部が「自主投票」と機関決定した以上、県連会長が特定の候補を応援することは異例である。しかし、黒岩氏にとって、米山氏を応援するのに何の遠慮をする必要もなかった。なぜならば、森陣営を支援する連合新潟は9月末、民進党衆院新潟5区総支部長だった米山氏が県知事選に出馬表明したことに抗議。黒岩氏の連合新潟の会合への出入り禁止と黒岩氏が主宰する会合や行事への参加を見送ることを決定していたからだ。
13日の会見までは新潟入りを明らかにしなかった蓮舫代表も、ついにその態度を変えた。「これから新潟入りをする。蓮舫氏は新潟市、私は長岡市に入る」。
10月14日午後の会見で、江田憲司代表代行は蓮舫代表の突然の新潟入りを発表した。「党の方針は自主投票と変わらないが、私と米山氏は旧維新の党以来の同志。大接戦と聞いて、いてもたってもいられないので応援に行く。かつ泉田(裕彦)知事も通産省時代の後輩で、産業政策局で同じ仕事をした仲。泉田知事は知事という立場があるので後継指名をしないという立場だが、私はそういう関係で実際には泉田知事の後押しを受けて出た米山氏の位置付けをよく知っている。長岡市の街宣ではしっかりとそう言いたい」。

そして14日夜、江田氏は長岡市で街宣し、泉田知事の米山氏に対する激励文を森裕子参院議員に代読させ、次のように述べている。
「泉田知事は通産省時代の後輩で、二十数年前に一緒に仕事をしていた。だから泉田知事の言いにくいことを言う。泉田知事の後押しがなければ、米山氏は立候補を決断しなかった。昨日、泉田が退任の挨拶に官邸に行ってみたら、本来は約束していなかった安倍総理まで出てきて、1期目の初当選した時に応援してくれた面々がずらりとオールスターで顔を並べていたそうだ。まるでプレッシャーをかけられるような、相手候補を応援しろというまなざしを感じたそうだ」
実際に泉田知事は13日午後、知事退任の挨拶のために官邸を訪れた時、安倍首相から「当然、力を借りることもある。宜しくお願いしたい」と言われている。さらに自民党本部で二階幹事長からも、「泉田知事や後援会の力添えを得て自民党は必ず勝利し、知事と連携していろいろやっていきたい」と協力を求められたのだ。
要するに自民党とすれば、出馬すれば勝利は確実と言われた泉田知事の人気でもって挽回を図ろうとしたのだが、泉田知事に近い江田氏がこれを制したということになる。

安倍首相が池袋に行った意味
ただし、自民党は新潟県知事選に敗れたものの、すでに次の勝負に目を向けている。新潟県知事選の投開票が行われた16日の午後、東京・池袋駅前には数千人もの人が集められたのだ。
彼らの目当ては小池百合子東京都知事、そして安倍晋三首相の演説だ。10月23日に投開票の衆院東京都第10区補選では、自民党公認の若狭勝氏の優勢が伝えられている。普通ならそのような状況で、わざわざ首相を投入しない。
しかも街宣に参加したのは、下村博文自民党東京都連会長を始め、菅原一秀同会長代行、山口那津男公明党代表、高木陽介公明党東京都本部代表という主要なフルメンバー。さらに自民党や公明党の都議や区議なども総揃いしている。かつて記者会見で「若狭氏を応援しない」と言明した高野之夫区長でさえ駆け付けたのだ。
この筋書きを描いたのは自民党の二階幹事長だ。11日の若狭氏の第一声で、二階氏は「ここに来る途中に安倍首相に電話したら、『16日に池袋に行く』と言った」と述べたというのは前回記事で報じたとおりだ。
これは新潟県知事選での敗退をも視野にいれ、その後の影響を最小限に抑えるために打った次善策に違いない。首相が街宣するとなると、翌日の新聞の紙面も新潟県知事選の結果ばかり報じるわけにはいかなくなるからだ。
このように、与党も野党も次々と「禁じ手」を使い、状況はめまぐるしく変わっている。ここまで選挙に熱が入る状況を見る限り、やはり解散総選挙が迫っていると見たほうがいいのかもしれない。

【東洋経済ONLINE】




知事選挙に当選した米山氏は私と中学校が同窓で、最初の衆議院選挙出馬の時から知る間柄です。が・・・
ちなみに新潟県議会は、圧倒的に野党となった自民党が勢力をもっています。
by kura0412 | 2016-10-17 09:55 | 政治 | Comments(0)
ミラーを片手に歯科医師の本音
回想

本紙閉刊に伴いこのコラムも今回で最後となります。平成10年9月から19年間、筆が進まない時もありましたが、締め切りを遅らせることもなく、また大きなトラブルもなく終えることにある意味安堵しております。ただその中で一度だけで校正まで終えながら書き直したことがありました。それはあの「日歯連事件」と称された事件が勃発した時でした。
あの時は一人の開業医でしかない私が、社会事件になるほどの大事件に対して実名で書くことに躊躇しましたが、事件に対していろいろな観点から憤りを感じ、もし問題となれば歯科医師を辞める覚悟をもって書きました。この事件によって日本の歯科界に大きな変化があったことは多くの先生方が感じられたことです。今思えばその内容は別として、あの時書き綴っておいたことが、その後連載を続けられた源になっていたかもしれません。
然るに風化しつつあるあの事件の本質は何だったのか。その手法に対しては司法判断が下った結果が示されていますが、事件の根本には、現在も続く歯科医療に対する公的評価の低さを何とか打開しようと考え方がありました。この点を誰もが分かっているのに言葉に出ていません。但し結果的には中医協委員が1名減員、事件後の懲罰的な18年度改定となり、歯科界の思いとは反対の流れを作ってしまいました。特に改定では、それまでの改定時で、技術料を引き下げながら作った僅かな財源を「かかりつけ歯科医」初再診料に振り分けながらも、「かかりつけ歯科医」を一気に消し去られたことによって、保険点数全体が縮小したと共に、時代の流れである「かかりつけ歯科医」という名称、概念をも否定されることになってしまいました。そして事件によって植え付けられた歯科界の負のイメージは現在も引きずっています。
日本の歯科界は今、大きな分岐点に差し掛かかり、新しい息吹が入る機運も高まっています。但し、この負のイメージを引きずったままでは大きな壁が存在します。あの事件は終わったのでなく、まだ背負っており、それを回顧することで歯科界の課題を改めて見出すことが必要です。
残念ながら現在、日歯、日歯連盟共に入会者、特に若い先生の入会が減少しています。事件の影響、また、入会することへの利点を見出せず、医療環境向上寄与への期待が薄らいでいるからです。個人で個々の臨床現場での対応出来ても、政策を変えるには一つの塊にでなければパワーが発揮できないだけに、この問題は歯科界発展の最大の課題です。その為には、過去の問題となった出来事を背景も含めて改めて見直し、そして新しい目標を示す。それも抽象的でなく、具体的な分かりやすい政策を提示することで歯科界の展望が分かることで推進力の働きとなります。
最後に、本コラムを続けなければ会うことの出来なかった全国の先生方と交流できたことは、私の歯科医師人生としての財産となりました。そして、好き気ままに綴ることを甘受して頂き、連載を許して頂いた歯科時報新社・吉田泰行社長に感謝を述べ終わります。ありがとうございました。
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