会談の間崩壊寸前

臨時歯科診療所が開設され三日目、やはり訪れる人は増えています。情報が伝わり始めたのもありますが、この環境下の中でも、当然、そのニーズがあった結果だと思います。
救援物資も集まっているようで、既に日歯から歯ブラシセット三万個が届いていると聞いています。今後、口腔ケアについての対応も検討しなければいけません。
午後、文化省の下村政務官が小千谷に学校施設の被害状況視察に訪れ、それに随行して、市内の一部を見て廻りました。
その感想を一言で言えば、私の所の被害はまだ上等の部類でした。
全壊まではいかなくても、半壊、あるいは骨組みが歪み修繕が難しそうなビルなど、その被害は、私の思う以上のものがありました。そして、司馬遼太郎の代表作「峠」の題材にもなった、戊辰戦争の時、時の長岡藩家老河井継之助と官軍・岩村精一郎の小千谷談判の場となった慈眼寺の本堂が、崩壊寸前の状態でした。
戊辰戦争時は、長岡全体が焼け野原となったため、その当時を知る歴史的な証拠は、長岡に隣接するこの慈眼寺の談判の間しかありません。その本堂が後ろでロープで支えなければ崩れ落ちる寸前の状態です。ご住職にお話をお聞きすれば、可能な限り保存したいが、この状態で可能か否か?そして、どれ位の予算がかかるのか?本堂の周囲にある墓石の殆どが倒れた境内、沈痛な面持で話されていました。
下村政務官は、明日、小泉首相に今日の視察状況を報告すると、私に確約してくれましたが、いくら天災が理由でも、140年以上の間歴史の証人となっていたこの会談の間を何とか残したい。長岡で育ち、そして、この小千谷市住み移った私はその思いで一杯です。
by kura0412 | 2004-10-30 20:01 | 中越

コラムニスト・鞍立常行が日本の歯科界に直言


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