刻々と変化する被災地の医療現場の実情に対して

宮城の医療連携、再構築の糸口見えず- 関係者ら「慢性期医療への支援を」

東日本大震災が発生して2週間余りが経過し、被災した宮城県内の医療機関にも支援物資が行き渡り始めた。ただ、病状が安定し始めた患者を受け入れる慢性期病院は、未だに十分な機能を果たせないまま。周辺の後方病院を丸ごと失ったため、機能不全に陥る中核病院もあり、地域の医療機関は連携再構築の糸口を見出せずにいる。

■届き始めた支援物資
3月26日午前9時、仙台市太白区にある杜都千愛病院に、日本慢性期医療協会(日慢協)からの支援物資を積んだトラックが到着した。この日届いたのは医薬品や紙おむつ、栄養剤など約8トン。同病院をはじめ、この地域の周辺で慢性期医療を手掛ける6病院に送られた物資だった。
職員と共に物資の荷降ろしを行った安カ川鈴美事務部長は、「外部から支援物資が届き始めたのは、先週末くらいから」と語る。
11日の地震発生時、杜都千愛病院や系列の杜都中央病院(仙台市)にはそれぞれ数日分の食糧の備蓄があった。しかし、それから数日間は、停電などの影響で外部との連絡が付かず、新たな食材確保の見通しも立たなかった。そのため、患者の一日当たりの食事の総カロリーを半分以下に減らしてしのぐほかなかったという。

■このままでは「院内で凍死も」
地震発生から2週間余りが経過した現在では、電気も水道も回復した。外部との連絡も取れるようになった。
ただ、ガスの供給再開は遅れており、暖房施設も動かすことはできない。このため、杜都千愛病院や杜都中央病院では、臨時の暖房器具としてストーブを用意したほか、ペットボトルにお湯を満たした即席の湯たんぽを利用者に配るなどの対策を講じている。
しかし、ストーブだけでは広い病棟内を十分に温めることはできない。特に杜都千愛病院では認知症患者が多く、暖房の切れた病棟内を普段着のまま徘徊した結果、肺炎を発症するケースも出た。そのため現在では、ストーブを集中的に配置した区域内に患者の移動範囲を限定している。
それでも、安カ川事務部長によると「うちはまだ恵まれている方」という。今後は、被災地で慢性期医療を支える病院や、老健施設などへの支援を強化する必要があると安カ川事務部長は訴える。
「津波で大きな被害を受けた沿岸部の病院や老健の中には、支援物資や燃料がまだ十分に届いていないところもある。このままでは、病院や老健施設にいながら低体温と低栄養で凍死したり、持病が悪化したりする人も出かねない」
宮城県医師会の佐藤和宏常任理事も、「(現地で必要な医療は)慢性期に移りつつある」と指摘する。

■急性期病院「手術や検査」に対応できず、災害対応が足かせ

慢性期病院への支援強化を望む声は、津波で甚大な被害を被った沿岸部の急性期病院からも上がっている。
県内の拠点病院の一つ石巻赤十字病院(石巻市)の担当者は、地震による直接的な被害は少なかったため、外科的な治療が必要な患者は少なかったという。「生か死かで、真ん中がなかった」と振り返る。
同病院には現在、高齢者を中心におよそ380人が入院しているが、このうち約10分の1を占める急患患者には、誤嚥性肺炎やストレスによる胃潰瘍など、地震後の避難生活による影響が色濃く出ている。ただ、市中心部が津波で壊滅的なダメージを受けたため、本来なら容体が安定した患者を送り出すはずの周辺の慢性期病院や診療所はほとんど機能していないのが現状だ。「超急性期医療をカバーするうちの病院だけが残っても、後方病床がない」と、この担当者は嘆く。
宮城県医師会の佐藤常任理事は、急性期病院が未だに災害対応を強いられている状況を問題視する。
「地震前から予定されていた検査や手術が延期されたままになっている。それぞれの役割を仕分けした上で、(各病院が)本来の業務に戻らないと、うまく回らないのではないか」

【キャリアブレイン】



再生に向け、動き始めた被災地の医療

警察庁によると、東日本大震災で最も大きな被害を受けた宮城県の死者数は3月27日午後6時現在、6477人に達し、同県だけで阪神淡路大震災の死者数を超えた。同県沿岸部では、いまも行方不明者の捜索が続き、震災の残した爪あとは依然として大きい。その一方で、電気や水道などの復旧が徐々に進み、県内の医療機関は再生に向けて動き出している。

津波で壊滅的な被害を受けた同県石巻市―。港からほど近い石巻市立病院の入り口には、津波で流された車が横たわり、ガラスの破片が散乱していた。入院患者は他の医療機関へ搬送され、同病院は既に閉鎖されていた。病院のそばには、完全に水没した調剤薬局があり、被害の大きさを物語っている。
同病院から車で約5分。同市門脇町にある石巻港湾病院は、津波で5階建ての1階部分がすべて水没した。11日の地震直後、院内には132人の入院患者がいたが、上階に避難させて難をしのいだという。
その後、同じグループの病院から支援物資が到着して以降、少しずつ回復の兆しが見えてきたが、19日に電力が復旧するまでの間、注射器でたん吸引を行った。「看護師の親指が豆だらけになった」。同病院でマネージングディレクターを務める間山文博さんは振り返る。
近隣の特別養護老人ホームが一部の患者を引き受けてくれたため、入院患者数は現在90人。まだ水道が復旧しておらず、風呂を沸かすことができないため、毎日、患者の身体をタオルなどで拭いている。26日には患者を通常の病棟に戻したが、160人の職員の約3割が避難所で暮らしているほか、自宅が損壊した20人は院内での宿泊を余儀なくされている。
それでも同病院は前向きだ。4月上旬には水道が復旧する見通しで、復旧後には外来を再開する予定だ。「患者さんや地域から必要とされている限り、この場所で医療を続け、地域医療に貢献したい」。間山さんはそう力を込めた。

■29日にも外来再開の病院も
一方、仙台市宮城野区にある東北厚生年金病院は、間一髪のところで津波の被害から逃れた。田林晄一院長は「本当に、ぎりぎりのところで助かった」と振り返る。同病院の近くを流れる七北田川の水位が急上昇し、堤防を超えそうになったという。
しかし、強い揺れで病棟の一部や配管が破損。一部のフロアは水浸しになった上、水道や電気などのライフラインはストップした。そんな中、病院には同区内で被災した住民が次々と避難し、一時は約1000人の住民が集まったという。被害の深刻さを考え、患者だけでなく、避難者にも食事を提供した。
食事が十分に配れない上、暖房も温水もない―。同病院では精神科の患者などを除く323人の入院患者を、他の病院へ一時的に転院することを決め、外来については再来患者の薬の処方のみに応じる方針で臨んだ。一方、1000人いた避難者に対しては、自宅近くの避難所へ移るよう勧めたという。
その後、電気や水道などのインフラが順調に回復。全国社会保険協会連合会(全社連)からの支援物資も届き、薬も1週間分まで処方できるようになったという。一時転院している入院患者を既に呼び戻し始め、29日には外来診療も本格的に再開する予定だ。
「患者やその家族と同様に、病院の職員も地震と津波で大きなショックを受けています。そうした職員に対する精神的ケアが今後は重要になってくるでしょう」。田林院長は残された課題をそう指摘し、災害医療の長期化に気を引締めている。

【キャリアブレイン】



医療だけを考えても、被災地での状況、ニーズは刻々と変化してきます。それに対して医療界、歯科界がどう迅速に対応が出来るかで、復旧、復興に大きく影響を与えます。
by kura0412 | 2011-03-28 16:55 | 地震 | Comments(0)