「町長、生きていた!津波3波に耐えきった」

東日本大震災の死者・行方不明者数が、日を追うごとに増え、絶望感ばかりが募るなか、行方が分からなかった町長が奇跡の生還を果たした。

佐藤町長によると、11日の地震発生時、佐藤町長は町議会3月定例会の最終日の閉会のあいさつの最中だった。突然の横揺れが襲い、立っていることができず、議場にいた約40人は机の下に身を潜めたという。
揺れがおさまり、町議らとともに総合防災庁舎に移動。津波が見えるとの連絡を受け、3階建ての屋上に上がった。防災庁舎は、1960年のチリ地震津波の被害を教訓にした鉄筋コンクリート性。災害時には、救助や被災者支援などの拠点となる施設だった。
間もなく、津波が300メートルほど離れた高さ7メートルの防潮堤を超えて押し寄せるのが見えたという。
津波の第1波は高さ約11メートルの庁舎をのみ込み、すべての壁と天井を打ち抜いた。屋上の金網に必死ですがりついた10人ほどの町職員らが、波が引くと金網ごといなくなった。佐藤町長の体は偶然、外の非常階段の手すりにぶつかって止まった。当初、屋上には30人ほどがいたが、残ったのは佐藤町長ら10人だけ。10人は高さ5メートルの2本のアンテナによじ登った。

続く第2波、第3波はアンテナにしがみついて耐えた。10人の下を波が何度も行き交ったという。近くに住む職員の自宅2階から、その妻が流されていくのを佐藤町長と夫の職員とともにアンテナの上で見たという。
11日夜は雪の中、アンテナの上で、10人が流れ着いた発泡スチロールや木くずなどを燃やして暖を取った。
12日朝になって、庁舎に絡まっていた漁業用ロープを使って地上に下りた。避難所の同町スポーツ交流村に着いたのは昼前だったという。佐藤町長が避難所に姿を現すと、避難していた住民たちから「生きていたのか!」と驚かれたという。

人口約1万8000人の南三陸町では依然、町民約1万人と連絡が取れない。また、14日までに同町で約1000遺体も発見されている。
「拾った命。町民のため全力を尽くす」と佐藤町長。13日から公務に復帰し、災害対策本部を設置、陣頭指揮を執っている。14日の会見で「壊滅した地区も複数あり、米や毛布、水など支援物資の不足が著しい」と緊急支援の必要性を訴えた。

【sanspo.com】
by kura0412 | 2011-03-15 09:34 | 地震 | Comments(0)

コラムニスト・鞍立常行が日本の歯科界に直言


by kura0412