今、一番旬な話題・岡田監督講演録①

早稲田大学は12月11日、ICC(早稲田大学国際コミュニティセンター)開設3周年記念「働く杯」を開催、特別講演でサッカー日本代表監督の岡田武史氏が自らの仕事に対する姿勢を語った。
岡田氏は早稲田大学卒業後、古河電気工業(ジェフ千葉の前身)や日本代表でディフェンダーとして活躍し、1990年に現役を引退。引退後は指導者の道を歩み、ジェフ市原コーチ、日本代表コーチを経て、フランスW杯最終予選では更迭された加茂周氏の後任として日本代表監督に就任、日本を初のW杯出場へと導いた。その後はJリーグのチームの監督として年間王者に2度輝き、2007年からはイビチャ・オシム氏の後任として再び日本代表監督を務め、南アフリカW杯への出場を決めている。

サッカー日本代表監督の岡田武史氏勝っても違和感があった

僕はフランスW杯の日本代表監督を辞めた後、J2のコンサドーレ札幌の監督に就任して、2000年にJ2で優勝してJ1に上がって、J1で1年やって辞めました。その次に横浜F・マリノスの監督を2003年から4年間やって、J1で2回優勝しました。
しかし、勝ったり、優勝したりしてうれしいのですが、いつもどこかに「俺、これでいいのかな」という気持ち、うれしいんだけど「まだ自分の本当のチームじゃない」という気持ちが残っていました。
それはどういうことか? 僕は理屈で選手を納得させて動かすことは得意なんです。例えば、トップレベルだと今、得点の約40%はフリーキックやコーナーキックなどのセットプレーから生まれます。残り60%のうちの10%は、キーパーのチョンボのような、どうしようもないアクシデントから生まれます。
そして残り50%のうちどれくらいが普段よく言われたり、練習したりしている「後ろからボールをつないで相手を崩して点を取る」ということなのかというと、世界でも15%くらいです。日本のチームだと10%を切る。では、それ以外はどういう得点なのかというと、相手のボールを奪って速く攻めていくカウンターアタックなんです。
ということは、カウンターアタックを抑えたら失点が減るということですよね。自分のチームが攻めている時に、敵のフォワードが1人残っているとしましょう。これに対してディフェンダーが2人残ります。この1人を抑えたら、カウンターアタックの脅威が半分になります。僕はいつも敵のフォワードの1メートル前に1人、3メートル後ろに1人を位置取らせて、前に来るボールは前者がカットして、後ろに来るボールは後者がカットするようにしています。これをやるだけで失点が激減します。そうすると選手も「おお、なるほど。監督の言う通りにやったら勝てるなあ」となります。
ところが、そうやっているうちに困ったことが起こりました。サッカーの攻撃では、相手のゴールに一直線に向かうのが手っ取り早くて一番いいわけです。ところが相手もそれが怖いから、中央のディフェンスを固めます。そうすると僕は「中央を攻めに行ったら、カウンターアタックを受ける。ボールをサイドへ出せ」と言うわけです。
最初のうち、選手はやっぱり中央に行きたいわけです。かっこいいし、面白いし、サッカーの醍醐味ですよね。「中央に行きたいな」と思うけど、監督が「サイドへ出せ」と怒鳴っている。「しょうがないな」ということでサイドに出す。そうすると、やっぱり勝つんですよ。これで選手がどうなるかというと、「監督が言った通りにやったら本当に勝つな」ということで、だんだん一番大切な中央を見ずに、ボールを持ったらロボットのようにさっとサイドに出すようになったんです。
ど真ん中が空いていたら、ど真ん中に行くのが一番いいんですよ。ところが、「監督の言う通りやったら勝つ」とみんな思ったら、何も考えずにサイドに出すようになった。そういう選手たちを見ていて、「俺は本当の指導者なのかな。こういう指導でいいのかな」と勝っても勝ってもずっとどこかに引っかかっていました。

横浜F・マリノスの1年目(2003年)は年間王者になりました。それで2年目(2004年)は「もういいや、こういうやり方は。お前らちょっと自由にやってみろ」と言ったところ、開幕から1分2敗でクビになりそうになりました。「これはマズイな」と思って、選手に「悪かった。もう1回やり方をもとに戻す。今からでも間に合うかどうかは分からないけど」と言ったら間に合っちゃったんですよ。2年目も優勝したんです。
3年目(2005年)は「もういいや。こういうのは絶対やんねえ。こういう風にやったらどうかな」とテストしたら、中位(18チーム中、年間9位)でしたね。僕は3年間Jリーグのチームの監督をやって、1年間はワールドカップの解説をするようにしていました。このリズムが一番生活が安定するんですよね、稼ぎが(笑)。ただ、その年は悔しくて、「自分の殻を破りたい」と思って4年目を引き受けてしまったんです。
それで、「今度はこういうやり方をやってみよう」と思ってやったんです。でも、やっぱりダメだった。それで、その時は自分自身もそう思っていたのですが、表向きは「家族を亡くして、とても戦える状態ではない」ということで辞めました。でも、後で「あの時に本当に自分が理想とするような指導ができて、チームがうまくいったら辞めたかな」と考えたら、「多分やめなかっただろう」と。たまたま家族を亡くしたということを理由に辞めたのですが、実は「俺は自分の指導者としての限界を感じていたのではないか」と思ったのです。

“秘密の鍵”を探して

辞めてちょっと休んだ後、「指導者としての自分の限界を破りたい」と思って滅茶苦茶勉強しました。勉強といってもサッカーの勉強というより指導法の勉強、人間としての勉強ということで、いろんな経営者のセミナーに出たり、会いに行って教えを請うたり、脳や心理学などいろんなことを勉強したりしました。
怪しいこともいろいろやりました。空手や古武術、気功とか、占星術師のところまで行きましたが、ともかく何でもやりました。でも分からなかった。「自分が指導者としての殻を破るための“秘密の鍵”があるはずだ。それが何なのか見つけたい」と思って勉強したのですが、この秘密の鍵は見つからなかった。
僕は「また同じことをやるのはもういい。この秘密の鍵が見つかるまで、俺は絶対現場に戻らない」と思っていて、事実Jリーグのチームからいくつかお話をいただいていたのを全部お断りしていました。そんな時(2007年11月16日)、前日本代表監督のイビチャ・オシムさんが倒れられたんです。僕がJリーグのオファーを断って、「さあもっと勉強しなきゃ」と思っている時に倒れた。
そして日本サッカー協会の人が来て、「本当に大変な仕事だということは分かっています。でも、ぜひやってください」と言われました。僕は実を言うと、そのオファーをもらった瞬間に「やる」と決めていたんです。これ、理由は本当に分からないです。自分の腹の底から、「これを絶対俺はやらないといけない。逃げちゃダメだ。これにチャレンジしないといけない」とふつふつと沸いてきたんですね。

頭で考えたら、どう考えても割に合わない。そりゃあ5億円とか10億円をもらえるのなら別ですけど、そんなにくれるわけがないですし、「こんな割に合わない仕事、頭で考えたら引き受けたらいけねえ」と思うのですが分からないんです。「やるんだ。俺は絶対これをやるんだ」と思いました。
協会の人に「こんな大変なことをすぐに返事できないでしょう。まだ1週間くらい時間があります。考えてください」と言われたのですが、僕は言われた瞬間にもう「やる」と決めていたんです。でも、すぐに「やる」と言うと軽いでしょ、ちょっと(笑)。「分かった、ちょっと考える」と言って、2~3日して返事をしたのですが、家族もまさか僕がやるとは思っていなかった。
フランスW杯の日本代表監督の時に、家族もかなりつらい目をしましたから。そういう意味で「まさかやらないだろう」と思っていたのに僕は「やる」と言ったら、かみさんに「本当に引き受けるの?」と言われて「やる」。「えー」「やりたいんだ」「自信あるの?」「全然ない」「じゃあ何で引き受けるの!」とすごい怒られたんですけど、自分でも分からない。
「やんなきゃいけない」という気持ちだけで引き受けてから大変な仕事だと気付いたのですが、最初の仕事が南アフリカW杯アジア地区3次予選だったんです。Jリーグのシーズン明けで、そんなに準備もしていませんでした。「秘密の鍵も見つけていないのに、俺やっていいのか?」と引き受けてからそんなことを考えていたのですが、と言ったらまた叩かれますね。「そんな感じで引き受けて」と(笑)。でも、それが事実なんです。

バーレーン戦で負けて開き直った

僕はW杯予選の難しさや怖さを知っていたのですが、もう時間が忘れさせているんですね。3次予選の相手(タイ、バーレーン、オマーン)を見たら「何とかなるだろう」と思い、今までの流れ通りでいこうとしたところ、最初のタイ戦(2008年2月6日)には勝ちました。
しかし、2試合目のアウェーのバーレーン戦(2008年3月26日)で、残り時間があまりない時(後半32分)にポロっと入れられてしまって0対1で負けた。まあ大騒動ですね。「バーレーンに負けたから、W杯に行けないかもしれない」といろいろ叩かれもしましたし、自分自身も相当苦しみました。
本当にのた打ち回るほど苦しんだのですが、「よく考えたら自分自身の腹のくくりがなかったから当たり前だ。W杯予選が大変だと知っているのに、何て俺は甘いんだ。しょうがない。俺はもう自分のやり方でやるしかない。秘密の鍵もくそもない。誰がどう言おうが今の俺にできること以外できねえんだから、俺のやり方でやるしかねえんだ」とその時に開き直った。
「開き直り」という表現は悪いかもしれないですが、これはある意味どんな仕事でもトップやリーダーになったら、一番大事な要素かもしれないですね。「監督の仕事って何だ?」といったら1つだけなんです。「決断する」ということなんです。「この戦術とこの戦術、どっち使う?」「この選手とこの選手、どっち使う?」ということです。
ただ、「この戦術を使ったら勝率40%、この戦術だったら勝率60%」「この選手だったら勝率50%、こっちの選手だったら勝率55%」、そんなもの何も出てこないんです。答えが分からないんですね、それをたった1人で全責任を負って決断しないといけない。
例えばコーチを集めて「お前どっちだと思う?」と多数決をとって、「3対2だから、はいこっち」と絶対いかない。全員が反対しても、たった1人で全責任を負って決断しないといけない。これがW杯出場が決まるかどうか、優勝が決まるかどうかという試合だったらとても怖いです。「この決断1つですべてが変わる」と思うと滅茶苦茶ビビります。考えに考えます。論理的に考えても答えは出ないのですが、必死に考えます。「相手がこうしたらこうだ。こうなったらこうだ」と考えても答えは出ません。
じゃあ「どうやって決断するか」といったら“勘”なんですよ。「相手のディフェンスは背が高いから、ここは背が高いフォワードの方がいいかな」とか理屈で決めていたらダメなんです。勘なんです、「こいつ(を使うん)だ」と。

素の自分になって決断できるかどうか

じゃあ全部勘が当たるかというと、そう当たりはしないですね。でも、当たる確率を高くする方法があるんです。それは何かというと、「決断をする時に、完全に素の自分になれるかどうか」ということです。「こんなことをやったら、あいつふてくされるかな」「こんなことやったら、また叩かれるかな」「こんなこと言ったらどうなるかな」、そんな余計なことを考えていたら大体勘は当たりません。本当に開き直って素の自分になって決断できるかどうか、これがポイントなんです。
僕は座禅をやるのですが、座禅でよく言う“無心”。無の心なんて簡単になれないですよ、そんなもん。僕は自分の弱さを知っていますから、できるだけ邪念を入れないためにいろいろやります。
例えば、僕は選手と一緒に酒を飲んだりは絶対しません。なぜか? 酒を飲んでわいわいやって、翌日「君、クビ」と僕は言えない。仲人は絶対しません。仲人をやって奥さんやご両親知っていて「はい、君アウト」と僕は言えない。浪花節なところがあるんでね。だからあえて僕はそういう一線を常に引いています。

この前、ケープタウンでヒデ(中田英寿)がたまたま来ていて、「飯食いませんか?」と言うから、僕はちょっとほかの人と先約があったので「俺は人とここで食ってるから、もしよかったら来たら」と言ったら来たことがあります。酒を飲みながら話していて、「あれ、俺よく考えたら、ヒデとこうやって酒を飲むのは初めてだな。10何年間なかったな」と思ったくらい、僕は自分の中で一線を引いています。
僕も人間ですからみんなから「いい人だ」と言われたいし、好かれたいですよ。でも、この仕事はそれができないんです。なぜなら、選手にとっての“いい人”“いい監督”というのは「自分を使ってくれる監督」ですから。僕は11人しか使えないので、あきらめないとしょうがないんです。
選手でも日本代表選手にもなるとみんなしっかりしていますから、「監督、僕はこう考えていて、こういう風にしたい」とか「私生活でももっと自由にこういうことをしたい」とかいろんなことを言ってきます。
僕は聞きます。正しいと思ったらもちろん受け入れますが、そうではなかったら「俺は監督として全責任を負ってこう考えている。お前は能力があると思うからここに呼んでいる。お前がやってくれたら非常にうれしい。でも、どうしてもやってられない、冗談じゃねえというのなら、これはしょうがない。俺は非常に残念だけどあきらめるから出て行ってくれ。怒りも何もしない、お前が選ぶんだ」と言います。みなさんはご存じないと思いますが、つい最近もそういう事件がいろいろあって、その時もそういうスタンスを常に僕はとっていました。
そこで選手の肩を抱いて、「お前、頼むからやってくれ」「お前がやってくれたら」なんてことをやっていたらチームなんかできません。ましてや代表チームなんてお山の大将が集まってきているわけですから、とてもできないです。ある意味突き放したようなところがあります。

そりゃあ正直、(選手を落とすことは)やりたくないですよ。ジーコが日本代表監督の時、2006年ドイツW杯直前に久保(竜彦)をメンバーから落としたんです。その時、僕は久保が所属している横浜F・マリノスの監督だったんですね。久保が落とされた後、マリノスの練習場から帰ろうとしたら、たまたま駐車場に久保の家族がいて、久保には小さなかわいい女の子がいるんですけど、その子が「ジーコだいっきらい」と叫んでいたんですね。「ああ、また俺もそうなるんだなあ」と思い出しました。
ほかにも、スタジアムに試合を見に行ったら、じーっとにらんでいる女の人がいるんですね。「身に覚えがないなあ」と思って聞いてみたら、僕がメンバーから外した選手の奥さんだった。それは当たり前なんです、そうなるんですよ。それが嫌だったら日本代表監督なんてできないのですが、そういう意味でいかにいろんな雑念を払って、チームが勝つために決断できるかが大事です。
その時に例えば、私心で「俺がこう思われたいから」「俺がこうなりたいから」と思って、選手を外したとしますよね。これは一生うらみをかいますよ。ところが自分自身のためではなく、「チームが勝つために」という純粋にそれだけでした決断というのは、いつかは伝わるんです。そりゃね、みんな落とされた時は頭にきますよ。会いたくもないでしょう。
でも、「本当にそういう私心がなくやったとしたら、いつかは伝わる」と僕は信じているんです。そう信じないと中々できないんですけどね。外国人だったら自分の国に帰ってしまえばいいのですが、僕は一生この日本のサッカー界にいるわけですから、そういう奴らとまたどこで出会うか分からないわけです。そういう意味で私心をなくして、無心の状態で決断していかないといけない。
でも、どうです。無心になるために修行を積んでいるお坊さん、銀座でクラブの姉ちゃん相手にいっぱい酒を飲んでいますよ。そんなもんね、簡単に無心になんかなれないですよ。この俗物の固まりみたいな俺が無心になれるわけがないんですよ。ところが、手っ取り早く無心になる方法が1つだけあるんです。何かといったら、どん底を経験するんです。

遺伝子にスイッチが入る

経営者でも「倒産や投獄、闘病や戦争を経験した経営者は強い」とよく言われるのですが、どん底に行った時に人間というのは「ポーンとスイッチが入る」という言い方をします。これを(生物学者の)村上和雄先生なんかは「遺伝子にスイッチが入る」とよく言います。我々は氷河期や飢餓期というものを超えてきた強い遺伝子をご先祖様から受け継いでいるんですよ。ところが、こんな便利で快適で安全な、のほほんとした社会で暮らしていると、その遺伝子にスイッチが入らないんです。強さが出てこないんですよね。ところがどん底に行った時に、ポーンとスイッチが入るんですよ。
僕は1997年のフランスW杯予選の時にスイッチが入りました。当時は今なんかと比べ物にならないくらい、日本中がちょっと気が狂っていたかのように大騒動していました。初めて出られるかもしれないW杯を前にして、みんなが何も分からなかったんです。
スタジアムでイスを投げられたりして、(国立競技場の警備をしていた)四谷警察署の人から「危険ですから裏から逃げてください」と言われて、「何で逃げなきゃいけないんだ。俺は何も悪いことをしていない。正面から出て行く」と言っても、パトカーに押し込まれて裏から逃げたりね。それは悔しかったですよ。
僕はあの時も急に監督になったので、有名になると思っていなかったから電話帳に(住所や電話番号を)載せていたんです。脅迫状や脅迫電話が止まらなかったですよ。家には変な人が来るしね。僕の家は24時間パトカーが守っていて、「子どもは危険なので、学校の送り迎えをしてください」という状況で戦っていました。
ある時、ピンポーンと鳴って、「はい」と言って出たら、「私、中田さんと結婚したいんですけどどうしたらいいでしょうか」と言われて、「はあ、ちょっとサッカー協会に聞いてみてください」と答えたらいったん帰ったものの、またピンポーンと来て、「あのう、サッカー協会の電話番号を教えてください」と言われて、「ほっといてくれよ」と思ったこともあります(笑)。それは、まだいい方ですよ。
本当にありとあらゆることがあって、テレビで僕のことがボロカスに言われているのを子どもが見て泣いていたりとか、家族も本当に大変な経験をしました。自分自身もそんな強い人間ではないですから、のたうちまわっていましたね。自分の部屋でものを投げたりすることもありました。

そんな中、最後にマレーシアのジョホールバルというところで、イランとの最終決戦がありました。そこで負けてもオーストラリアとのプレーオフがあったのですが、オーストラリアは大変だということで、僕はジョホールバルから家内に電話して、「もしイランに勝てなかったら、俺たちは日本に住めないと思う」と言いました。冗談じゃなく、その時本気で考えていたんです。「2年くらい海外で住むことになると思うから覚悟していてくれ」と本気で話していました。
ところが、その電話をしてちょっとすると、何かポーンと吹っ切れたんです。「ちょっと待てよ。日本のサッカーの将来が俺の肩にかかっているって、俺1人でそんなもの背負えるかい。俺は今の俺にできるベストを死ぬ気でやる、すべてを出す。でも、それ以外はできない。それでダメなら俺のせいちゃうなこれは。絶対俺のせいちゃう。あいつあいつ、俺を選んだ(日本サッカー協会)会長、あいつのせいや(笑)」と完全に開き直ってしまった。
そうしたら、怖いものは何もなくなった。何か言われても「悪いなあ、俺一生懸命やってんだけどそれ以上できないんでな。もう後はあの人(会長)に言って」という感じに完全に開き直った。本当にスイッチが入るという感じだった。要するにそうやって人間が本当に苦しい時に、簡単に逃げたりあきらめたりしなかったら、遺伝子にスイッチが入ってくるということです。
よく標語が書いてあるカレンダーがあるじゃないですか。ジョホールバルから帰ってきた後、吊るしてあったのをたまたま見ると、「途中にいるから中途半端、底まで落ちたら地に足がつく」と書いてあったんです。その通りなんですよ。苦しい、もうどうしようもない、もう手がない。でも、それがどん底までいってしまうと足がつくんですよ。無心になんか中々なれないけど、そういうどん底のところで苦しみながらも耐えたらスイッチが入ってくるということです。
by kura0412 | 2010-07-03 11:57 | スポーツ | Comments(0)

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