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昨日のWBCのオランダ戦は久々に野球を見入ってしまいました。中田のホームランで楽勝と思ったのも一瞬、メジャーリーガーを並べた相手の力は相当なものでした。1球1球に、プレーヤーは無論のこと、観客、そしてテレビを観ていてもあれだけ気持ちが入るゲームは久々です。歴史残る試合でした。
ただ、優勝奪還は茨の道で、明日、再びキューバと当たり、次に今大会の台風の間であるイスラエル、そして決勝トーナメントではドミニカ、アメリカと主力メジャーリーガーを揃える各チームが控えています。
しかし、侍ジャパンには大きな経験があります。それは全ての選手が高校野球を経験しています。この一発真剣勝負の戦い方は独特です。昨日の試合であれだけ集中できていたのも、この経験が大きく影響していたに違いありません。
居並ぶメジャーリーガーを相手にしても怯まない侍ジャパン、頼もしいです。そして夢を貰っています。



by kura0412 | 2017-03-13 17:59 | スポーツ | Comments(0)

400Mリレー“侍スタイル”で銀メダル ケンブリッジ「東京では今以上のメダルを」

男子400メートルリレー決勝が行われ、日本は山県亮太(セイコーホールディングス)飯塚翔太(ミズノ)桐生祥秀(東洋大)ケンブリッジ飛鳥(ドーム)で挑み、37秒60のアジア新記録で銀メダルを獲得。銅メダルだった2008年北京五輪以来、2大会ぶりのメダル獲得を果たした。

第1走者として好スタートを決めた山県は「予選よりもいいスタートが切れたと思う。歴史を作れてうれしい」と偉業を喜んだ。今大会は100メートル準決勝で自己ベストをマーク。「4年前よりも確実に成長できたということを実感できました」と充実の五輪を振り返った。
第2走者の飯塚は「山県がいい流れを持ってきてくれた。仲間を信じ切って走ることができました」と仲間への信頼を口に。競技場に入場するセレモニーでは、飯塚の発案で4人で刀を抜く仕草を披露したが「日本らしく、侍スタイルでいきました」と笑顔を見せた。
第3走者の桐生は「先輩たちが最高の位置でバトンを持ってきてくれた」と山県、飯塚に感謝。男子100メートルでは予選敗退に終わったが、「個人は悔しかったですけど、リレーではできるだけ良い位置でケンブリッジさんに繋ぐと約束したので、がむしゃらに走りました」と振り返った。
2位を死守したアンカーのケンブリッジは「すごい位置で持ってきてくれた」と仲間を称賛。ボルトの隣のレーンで走れたことを「良い経験ができたと思います」と喜び、「東京では今回を超えるタイムを出して、今以上のメダルを獲りたいです」と4年後を見据えた。

【スポニチアネックス】




リオオリンピックで日本のメダル奪取が話題になる中、メインの陸上でのこれまでの結果は淋しかったでした。しかし最後はやってくれました。
体力が勝負を決めるトラック、短距離競技。それも世界の注目が注がれるリレーでの快挙です。ジャマイカには敗れたものの、絶対にあり得ないと思っていたアメリカに先着とは驚きです。
一人一人の力は劣っていてもチームワークでそれを克服する。まさに「ニッポン」です。
彼らは日本のスポーツ界に歴史的な1ページを刻みました。これで4年後に向けて日本中が一気にボルテージが上がります。
by kura0412 | 2016-08-20 14:51 | スポーツ | Comments(0)

黒田 悩み抜いて男気の決断 メジャー21億円より4億でもカープ愛

ヤンキースからFAとなり、去就が注目されていた黒田博樹投手(39)が8年ぶりに古巣・広島への復帰を決めたことが26日、分かった。年俸は総額4億円超とみられる。27日に正式発表される。

悩みに悩み抜いた。メジャーではヤンキースが再契約を熱望し、08年から4年間在籍したドジャースのほか、今オフ大型補強を敢行しているパドレスなど複数球団が争奪戦を繰り広げた。中でもパ軍は最大で年俸1800万ドル(約21億6000万円)を用意し、ド軍も年俸1600万ドル(約19億2000万円)プラス出来高払いを提示。巨額オファーで本気度を示しラブコールを送り続けてきた。
金額だけで判断するなら、答えを出すのに時間はかからない。来年2月で40歳。それでも21億円超の破格オファーを用意したパ軍の熱意や、家族の住むロサンゼルスが本拠地のド軍復帰に心が動いたこともあった。

「今の僕があるのはカープのおかげ。いずれは帰り、恩返ししたい気持ちはある。日本に帰るならカープしかない。帰るなら、バリバリやっている時に帰りたい」
メジャー移籍後に発した言葉だ。野球人生の集大成。しかも、第一線で活躍している投手として帰りたいとの思いが強かった。熟慮を重ねる中、今月14日にあった第3回交渉後、気持ちは復帰へと大きく傾いた。プレー環境が再び激変するリスクは承知。金銭面でも大差がある。それでも最後は、愛着のある球団で優勝に懸ける道を選んだ。黒田らしい決断だった。

【スポーツニッポン】



黒田の男気と広島のもつチームの魅力を感じさせる話です。
こうゆうチーム、世界は可能性大です。
by kura0412 | 2014-12-27 08:53 | スポーツ | Comments(0)

トロフィーも盾も全部手放して考えたこと

日経運動面で1998年から続けてきた「チェンジアップ」の連載を昨年末で終えた。読者のみなさまから終了を惜しむ声をいただいたのは望外の喜びで、この場を借りて“カーテンコール”にこたえたい。
足かけ16年、コラムに書き連ねてきたことに球界からの反応はあまりなかったが、それは私にとってはどうでもよく、読者の方々に喜んでいただけたのが何よりだった。

■「野球通して人間をみる」テーマに
「いいね」と言ってくれる人のいる一方で、同じくらいの人が「また、西鉄ライオンズの昔話か」とあきれていたかもしれない。
しかし“支持率”が半分もあれば、私としては上出来だ。球界から「毒舌」といわれて遠ざけられてきたことを思えばありがたいものだ。
読者の方々からいただいたお便りのなかで、会社の研修に使ってもいいでしょうか、というものがあった。思ったことを気ままに書いているコラムのどこが役に立つのかわからない。ただ、私はこのコラムを引き受けるにあたって、単に野球を語るのでなく、野球を通して人間をみる、社会をみるというテーマを自分に課したので、人によってはそこをくみ取ってくれたのかもしれない。

■敵味方、選手のなれ合い見苦しく
私はプロ野球の苦情受付係ではないのだが、雑誌に書いているコラムの「うるさ型のおやじ」のイメージからか、どうしても球界に意見してやってくれ、という便りが多かった。なかでも「選手のなれ合いを注意してほしい」という要望が目立った。
試合前の練習の最中に敵味方が親しげに挨拶しているとか、一塁に出た走者が相手の一塁手と話している姿が見苦しいというのだ。
現役の選手はこの問題の重要性をどこまでわかっているだろうか。
プロ野球は娯楽であり、ゲームの世界には違いない。それなのに大の大人が血相を変えて戦っていることの面白さ、非日常性に引かれて、ファンは見にきているのだ。
世の中は政治の世界からテレビのバラエティーまで、どこまで本気だかわからないような「やらせ」的な演出がまん延している。そうした中でスポーツだけは真剣勝負をしているところにファンの期待がある。そこを現役の選手はわからないといけない。
西武のかつてのエース、東尾修は世界の盗塁王・福本豊(阪急)が塁に出ると、その足を狙ってけん制球を投げたという。ホームへ投げても球威のない東尾の球に当たるような福本ではなかったろうが、とにかくこれくらいのけんか腰はあって当然の世界なのだ。

■東尾が勝負にこだわった背景には
なぜ東尾がそこまで勝負にこだわったか。私は東尾が「黒い霧事件」を生でみた世代だったことと関係していると推測する。
西鉄の投手らが八百長にかかわったとして永久追放(その後復権など)になった黒い霧事件。エース級が球界を追われ、がたがたになったところを若い東尾は見ていた。当時の監督だった稲尾和久が彼らを必死で鍛えて、なんとかライオンズの火をともし続けたのだった。
あの苦しい時代を知っているからこそ、東尾はなれ合いに敏感になったのだろう。こういう記憶こそ、球界が伝えていかなくてはならないものだ。
選手の服装に関しての意見も多かった。足元をだぶつかせるメジャーのユニホームの着こなしが日本でも定着した。あれはどうみても戦闘服として適当ではない。首元にネックレスのようなものをちゃらちゃらさせているのも見苦しい。外国人らに多い、入れ墨は論外だ。遊びたい盛りのプロ野球選手に少年たちの手本になれ、というのは八百屋で魚を求めるようなものだが、悪い見本にだけはならないでほしい。

■球界の歴史、心にしっかり刻んで
私は歴史を大事にしようと訴えてきた。
「年寄りの世まい言」と言われそうだが、プロ野球は野球道具はおろか、食べる物も着る物も、何もない時代をしのいで、現在に至っている。そのことを現役の選手は覚えておいてほしい。
昨年亡くなった川上哲治さんのお別れ会で、あらためてあの時代のことを伝えていかなくてはと思った。どんな困難にも「しっかり食べる」ことによって立ち向かっていったという川上さん。それは小さいころにお母さんに言われた「哲、飯ば食わるるうちは死なんバイ」という言葉から来ているそうだ。
飯を当たり前に食えるということが、どれだけありがたいことか。ましてやプロ野球という「あれば楽しいが、なくなっても誰も死なない」という浮草稼業でありながら何億円ももらえることの意味、どのようにしてその舞台が築かれてきたのかということを現役組も知らないといけない。
川上さんのことを書いたときに、読者からいただいたはがきがある。「九州に住む90歳の母親の『点滴では元気ならん。食べないと』という口癖が思い出され、切り抜いて送った」と書かれてあった。私の文章も少しは人の役に立っているのかと思って、うれしくなった。

■福岡市博物館に西鉄の常設コーナー
歴史を伝えるという意味でうれしいことが、最近あった。西鉄ライオンズの本拠があった福岡市の福岡市博物館(同市早良区)が、昨年11月に西鉄の常設展示コーナーを設けてくれたのだ。
地元で絶大の人気を誇ったとはいえ、西鉄ライオンズもいってみれば、一つの民間企業にすぎない。それを公の施設で取り上げるのは極めて異例のことであるには違いないから、ここで少し書いておこう。
西鉄の資料が展示されているのは博物館の歴史コーナーの「昭和~現在」の中だ。
これを担当した学芸員の鳥巣京一さんの話がいい。
郷土史のコーナーの「昭和から現代」は全国どこの博物館でも似たようなものになりがちだが、鳥巣さんは戦後の復興を経て、高度成長へというありきたりの展示ではつまらないと考えた。「あの時代の福岡を特徴づけるものはなにかと考えたときに西鉄ライオンズだ、となったわけです」(鳥巣さん)

■ライオンズ史、そのまま福岡の歴史
九州は炭鉱景気にわいていたが、現場の仕事は過酷なものだった。つらい日々の憂さを晴らすために、人々は球場につめかけた。地方の弱小球団だった西鉄が、九州の熱気を受けてめきめきと力をつけ、やがて巨人という“中央”の権威を破る。そこに人々は自分の人生を重ねてみていた……。ライオンズ史はそのまま福岡の歴史だというわけだ。
博物館側の熱意に打たれ、私は自分の持っているトロフィーやペナントなど、自宅に飾っていたお宝のほとんどを寄贈した。
私は物にこだわらないタチで、記念のグラブでもバットでもどんどん人にやったり、来客が勝手にもっていくのを止めるでもなく眺めたりしていた。
そうした中であえて残しておいたものは「これだけは墓まで持っていく」と決めていたものだ。だが、それも手放すことにした。
そのお礼というわけでもあるまいが、鳥巣さんは当時のユニホームを忠実に再現してくれた。

■半世紀前のユニホーム、忠実に再現
大阪の老舗メーカーである久保田運動具店に頼んで、当時と同じ麻素材を使った「本物」を複製してくれた。さらに「Lions」と背番号「7」の形も、忠実に再現してくれたのだ。
「7」の数字はこれも久保田運動具店で半世紀前に各球団の背番号などを担当していたデザイナーを探しあてて、作ってもらったという。これには涙が出た。
思い出の品々を整理しているうちに、私は不思議な気持ちになった。お宝として今まで飾ってきたけれど、「物」はいずれどこかに行ったり、壊れたりするし、西鉄ライオンズというチームが存在したということも、長い歴史からみたら、ほんのひとこまにすぎないのだなあ、という気持ちがわいてきたのだ。
西鉄の3年連続日本一も、巨人のV9も球史の中のひとこまだ。逆に、今はなくなった近鉄バファローズなども、かけがえのない歴史の担い手だったのだ……。
正直にいえば現役時代、どうしようもなく弱くて、パ・リーグのお荷物と呼ばれていたバファローズはなくなっても仕方がないなあと思っていたが、それはとんでもない間違いだった。
大映など、今はないチームもすべてプロ野球という大きな川の源流となった。歴史があって今がある。当たり前のことだが、私は改めて歴史の前に謙虚であらねばという気持ちを強くしている。

■今年も元気に、「飯ば食わるるうちは…」
さて、読者の方々から多く寄せられる問い合わせに、このコラムは本になっていないか、というものがある。
宣伝が足りないのかどうか、みなさんご存じないのだが、何冊か出ている。
つい先ごろも「豊田泰光 108の遺言」を出した。「チェンジアップ」と週刊ベースボールのコラム「オレが許さん!」のエッセンスを集めたもので、雑誌モードの文体に改めたので多少違和感があるかもしれないが、チェンジアップの締めくくりのつもりでまとめた。
ほかにも古い順に「チェンジアップ」(三笠書房、2000年)、「血涙! 日本プロ野球解体論」(新潮社、04年)、「豊田泰光のチェンジアップ人生論」(日本経済新聞社、06年)、「すべては野球が教えてくれた」(中経文庫、07年)など、この連載をベースとした本が出ているが、いずれも中古品をお求めいただくしかないようだ。
それではみなさん、今年も元気で参りましょう。「飯ば食わるるうちは死なんバイ」ですからね。

【日経新聞】



日頃楽しみしていた野球評論家の豊田泰光氏のコラムです。著書などを読んでも野球だけでなくいろいろ通じるものがあります。
by kura0412 | 2014-02-25 13:48 | スポーツ | Comments(0)

いよいよ明日の朝決定

首相がアルゼンチン入り IOC委員に支持訴え

安倍晋三首相は6日午後(日本時間7日未明)、国際オリンピック委員会(IOC)総会出席のため政府専用機でアルゼンチンのブエノスアイレスに到着した。2020年夏季五輪の東京招致に向けて最後の訴えに臨む。6日午後にはIOC委員に個別に働き掛け、支持拡大に動いた。
東京招致に成功すれば首相の経済政策「アベノミクス」の追い風になる。すでにブエノスアイレス入りしている岸田文雄外相らと手分けして多数派工作に当たる。
7日午前の最後のプレゼンテーションでは、東京電力福島第1原子力発電所の汚染水漏れ問題への日本政府の取り組みを説明し、IOC委員らの不安を取り除きたい考えだ。
首相は7日夕(同8日早朝)の開催都市発表を受けて記者会見し、日本時間の9日午後に帰国する。

【日経新聞】



IOC委員に安倍首相の動きが日本の本気度を示していると捉えられれば良いのですが。いよいよ明日の朝決まります。
by kura0412 | 2013-09-07 15:17 | スポーツ | Comments(0)

不惑迎えるイチロー、新たな世界切り開く

イチローが21日、日米通算4000安打を達成した。
大リーグ通算では2722本目で記録としての意義付けは難しいところだが、ヤンキースのジラルディ監督は言う。「彼がどれだけよく練習し、どれだけ長い間試合に出場し、健康であり続け、そして試合へのアプローチが素晴らしいかの証書」。イチローを簡潔かつ端的に評価する言葉だ。

■スタメンに名を見つけスイッチオン
ジラルディ監督は「まだイチローはやりきってない」とも話した。イチローは自虐的に「だから、時々ラインアップに名前がないんだ」。最近、球場でスタメン表を確認し、そこに自分の名前を見つけてから「気持ちのスイッチを入れる」ようになった。特に8月に入り、それほど先発を外れる日が増えている。
試合に出るか分からないのに、しっかり準備をする日が続くのはつらい。しかし、それでも今までと変わらぬルーティンを続ける。「毎日同じことを続けることで、自分を安定した状態に持っていくテクニックはある。それでも安定するとは限らない。時々しんどいと思うけれど、そこが頑張りをみせるところですかね」
チームメートが驚嘆するほどストイックな姿勢がイチローを形づくったといえるが、もう一つ欠かせない要素があると思う。無邪気というか、いい意味での子供らしさだ。

■「小さいことに満足し、達成感も」
記録達成後の記者会見で、最も印象に残ったやり取りがある。
「長い間プレーすると自分に満足する部分が見えるけれど、イチローさんは満足することがないから……」。こう話す記者を遮るように、ちゃめっ気のある口調でまくしたてた。
「いえいえ、僕はいっぱい満足します。満足したら終わりというけれど、それは弱い人の発想。僕は小さいことでも満足するし、達成感も感じる。それで次が生まれる。意図的に『こんなことで満足しちゃいけない、まだまだ』と言い聞かせる人はしんどいですよ。何を目標にしたらいいか分からないじゃないですか。うれしかったら喜べばいいんですよ」
スポーツ、特に個人競技を取材して感じるのは、トップまでいく選手たちの才能はそう変わらないということ。「スーパー」とそうでない選手を分けるのは、最後に自分を信じてあげられるかどうか。そして、そういう自信は小さな成功体験、達成感の積み重ねでしか身につかない。

■ジーターとともに得点、無邪気に喜ぶ
例えば、シーズン中にケガをしたとき。ただ残念と悔やむのか、苦手な部分を練習する時間がとれたから、これはこれでよかったと思うのか。ケガが治って初めての勝利を、ベストにはほど遠いけれど勝利は勝利と喜ぶのか、大した大会じゃないからなと捉えるのか。その先の結果はかなり違うだろう。
ピンストライプのユニホームに袖を通し、ジーターと絡んで得点したときのイチローの喜びようなど、時に見ているこちらの方が恥ずかしくなるほど無邪気だ。このところ万年Bクラスのマリナーズで、日々安打にこだわり続けたのも、小さな達成感の積み重ねだったのかもしれない。
素直に喜べ、小さな達成感がエネルギーになるから、40歳間近になっても続けられるのだろう。強い感受性を持ち、ちょっとしたことにも敏感に反応できるからこそ、ケガが少ないともいえる。身体のささいな変化を見逃さず、大ケガになる前に予防できている。故障者リスト入りは1度だけ。ケガが驚異的に少ない。

■「ネガティブなことが見つからない」
そんなイチローが、年齢による体の変化に気づいていないわけがないと思った。あるいは、ジーターが38歳の誕生日に語ったように、体が無意識にやっていた部分を経験が補っているのか。
「ま、昔できたことは今できない……」と神妙に話すと、やや間ができた。やっぱり衰えは感じているのかと思っていたら、突然、「残念でした」と言わんばかりに口調を変えた。「ということは見あたらないんですよね。昔、考えなかったことを考えるようになったということはあるけれど」。過去と現在の自分を客観的に比較しても「ネガティブなことが見つからないんですよね」。
疲れやすくなった、疲れがとれにくくなった、足が遅くなった、肩が弱くなった? 「今のところはないようです、と言っておけばいいですよね。ないと言えばまた……(批判もある)。鬱陶しいですね」
打撃については言及しなかった。打撃だけは落ちているのが打率や安打数などの数字で分かってしまう。それを「老い」という言葉で説明する人たちに、「お気の毒。年齢に対する偏った見方をしてしまう頭を持っている人に対して、お気の毒、と思うことはありますね」。
イチローにとってプロ野球選手とは「打つ、守る、走る、考える、これがすべてできる人」という。これまで突出した「打つ」力を発揮し、「守る」「走る」も超一流の域にあったが、今は「考える」部分も大きくなり、4つのバランスが明らかに変わってきている。その過程でイチローの頭の中には、今までなかった「アラフォー選手像」が見えているのかもしれない。

■年齢への偏った見方に先陣切り挑戦
常識をことごとく打ち破り、新しい世界をファンに見せてくれたイチローが、いま開拓しつつある未踏の領域。それは「年齢への偏った見方」に対する挑戦だ。年齢について聞かれると露骨にいらだちを見せるジーターも、似たようなことを考えている気がする。イチローはそれを「僕たち(世代)の使命」と言う。
「具体的な例が出てくることが大切。何十年もかかるでしょうね。論理的に説明しても、実例がないと説得力ないから。(既成概念を覆す)選手がたくさん生まれることですよ」
その先陣を切るのは自分のつもりだろう。これまでやってきたように。既成概念に縛られた「気の毒」な人たちはうるさくなるばかりだろうが、「僕、いろいろなことがあきらめられないんですよね」。性懲りもない自分を愛し、楽しんでいる。そんなイチローだから、ファンは見ていて楽しいのだ。

【日経新聞】



数年前に日本に来たアメリカ人と話した時「イチローのシアトルに住んでいる」ということで、彼の存在がアメリカではイコールJAPANとなっていることを思い出しました。
日本人として誇らしい今回の偉業達成です。
by kura0412 | 2013-08-24 15:42 | スポーツ | Comments(0)

私が見た「イチロー」の始まり

1992年の、それはおそらくお互い勝っても負けても関係ないような試合の、大勢には影響のない場面だったと思う。オリックスが途中から出してきた高卒1年目の選手のスイングに、ダイエー(現ソフトバンク)ベンチにいた私は目を見張った。それがイチローとの出会いだった。

■驚きの初打席、フルスイングで粘る
鈴木一朗といってもまだ誰も知らないようなときだ。ダイエーのコーチとして投手陣を預かっていた私は高卒新人の打者に対するいつものやり方で、当時の鈴木を打席に迎えた。
「高卒新人に対するいつものやり方」とはすなわち、直球しか投げないということだ。まだ右も左もわからないようなルーキーを全力で抑えにかかるのは大人げない。最初くらいは駆けだしの“お客さん”としてもてなす、というのが私の流儀だったから、いつものように捕手の吉永幸一郎にサインを送った。直球、直球、直球……。
驚くべきことに鈴木はそれにことごとくバットを当ててファウルした。しかもフルスイングで。それのどこがすごいのか、と思われるかもしれない。直球なら誰でも当てるくらいはできるでしょう、と。だがそれは違う。
プロの打席に立ったばかりの選手の多くは、まずバットをきっちり振ることができない。それくらいアマチュアとはレベルが違う。

■直球続けた後の変化球、完璧に捉える
1958年に巨人入りした長嶋茂雄さんが、開幕戦で国鉄の金田正一さんに4打席4三振を喫しながらも「末恐ろしい」と思わせたのは最初からバットをブンブン振れていたからだ。バットをきちんと振れるようになることが、新人にとっての第一関門になるのだ。
鈴木は最初からそれができていた。そしてそれだけではなかった。あまりに粘られるので「えーい、しょうがない。遊びは終わり」と、私はスライダーのサインを出した。
普通ならこれで、くるっとバットが回っておしまいとなる。直球に目が慣れたところで曲げられたら、ついてこられないものなのだ。

■「君はできる」にうれしそうな顔
ところがイチローは鋭いインパクトもそのままに、きっちり当てた。ライナー性の打球がたまたまワンバウンドで二塁手のグラブに収まり、安打にはならなかったが、完璧に捉えられていた。「この打者は大変なことになる」。鳥肌が立つ思いだった。
こういう素材を見つけると敵であれ味方であれ、とにかくいじくってみたくなるのが私の癖だ。次の日、外野で練習をしていた鈴木に声をかけた。
「鈴木君、権藤です」
「知っています。僕、中日ファンでしたから」。愛知県出身の鈴木はそういった。
「君はできる」
断片的な会話でわからないかもしれないが、私たちの間ではそれで通じた。プロで食べていけるよ、と私は言ったわけで、彼は何ともいえずうれしそうな表情を浮かべていた。

■最初の二ゴロに才能のすべてが凝縮
たった一つの二ゴロだが、その1打席に才能のすべてが凝縮されていた。直球に振り負けないこと、追い込まれてからの変化球に対応できること。この二つが最初からそろっているのだから、あとはどうにでもなるはずだった。
これは後に聞いた話だが、愛工大名電高時代は「5割を打つだけなら簡単。センター返しをしていればいいんだから」と言っていたそうだ。主軸として長打を狙わなくてはならないこともあって、センター返しばかりもしていられなかったようだが、今思えば、さもありなん、というエピソードである。
敵ながら楽しみな選手だと、次の対戦を心待ちにしていた。ところが、次にはもうベンチ入りメンバーのなかに鈴木の名はなかった。2軍落ちしていたのである。
当時はまだ振り子打法ではなかったが、打撃はしっかりしていたし、投手あがりだから肩も強い。足も速い。それでもなお2軍暮らしとなったのは当時の監督のお眼鏡にかなわなかったから。鈴木のプレーはたまにしかみられなかったけれど、そのたびに必ずキラッと輝くものがあり、なぜ使わないのだろうという疑問が膨らむのだった。

■2年目までなぜか2軍暮らし強いられ
2年目の93年も事情は変わらず、さあオリックス戦だと楽しみにしていると、そこに鈴木の姿はなかった。たまに出てくると右中間に引っ張って、ものすごい打球を放っている。1年目はまだ線が細い感じがしたが、もうパンチ力も備わっていた。これはもうレギュラー間違いなしと思ったら、やはり次にはもういない。あの2年、鈴木はどんな思いで耐えていたのか。
94年にオリックスの監督に仰木彬さんが就任した。
その年の春のキャンプのこともよく覚えている。93年限りでダイエーのユニホームを脱いだ私は評論家となって、各球団のキャンプを回っていた。なかでも楽しみにしていたのはオリックスの視察だった。鈴木はどうしているかな、と。
仰木さんとは近鉄時代にけんか別れした経緯があったが、それはそれ、これはこれである。

■仰木さんに見いだされ年間210安打
イチローをみやりながら、仰木さんと話した。
「おととしからみていますが、鈴木ってのはすごいですよ。最初の年に比べたら、去年はパワーも付きましたし、使ったら20本はホームランを打ちますよ」
「うん。フリー打撃でもあいつが一番飛ばすんだよ」と仰木さんはまんざらでもなさそうだった。そのときにはもうレギュラーで起用する腹を固めていたはずだ。
仰木さんに見いだされた鈴木はイチローとして世に出た。20本塁打という私の予測は外れた(13本塁打)が、その代わりに210安打を放った。そこから先の活躍はみなさんご存じの通りだ。
実力がありながら、1軍と2軍を行ったり来たりしているときに、私がかけた言葉をイチローは今でも覚えてくれているようだ。日米通算4000安打に達しようという大打者からすると、私などはもう吹けば飛ぶような存在になってしまったけれど、それでも会えば懐かしそうにして寄ってきてくれる。

■室内練習場にこもって打撃が日課に
やはりイチローが駆け出しのころ、父の宣之さんにも私は保証していた。「私は敵ベンチにいるので、本当は鈴木君には試合に出てもらわない方がいいのですが、間違いなくすごい選手になりますよ」と。
それにしてもプロ入り以来の最初の2年はもったいなかった。もし最初から試合に出してもらっていたら、4000安打も去年くらいに到達したかもしれない、と考えたくなるわけだが、そこはどうだろう。
キャンプでも普段の練習でも、全体練習が終わってから、室内練習場にこもり、2時間、3時間と打ち続けるのが彼の日課だ。あのつらい2年間はもちろん、一躍スターになったあともその姿勢を変えていないようだ。
室内練習のときは鍵をかけ、誰にも見られないようにし、完全に自分の世界を作る。有名になろうがなるまいが、周りにちやほやされようがされまいが、自分の流儀を守り続けることが、イチローの意地であり、自分を認めてくれなかった人たちへの無言の抵抗だったのではないかと、私はみている。

■人の目を気にせず、やるべきことを…
マスコミを含めて人の目などはあてにもしないし、気にもしない。自分は自分のやるべきことを毎日着実にやるだけ……。そんなスタンスが固まったのがあの2年だったとすると、イチローはあのころすでにイチローとしての第一歩を踏み出していたわけだ。
「鈴木君」と出会ってから22年。日米通算4000本という大記録への道のりを振り返るとき、そんな感慨がわいてくる。
(権藤 博・野球評論家)

【日経新聞】
by kura0412 | 2013-08-22 11:18 | スポーツ | Comments(0)

66歳の尾崎将司、62で回りエージシュート

兵庫県川西市の山の原GC山の原で開幕した男子ゴルフツアーのつるやオープン第1日(6793ヤード、パー71)で25日、尾崎将司(66)が62をマークし、自分の年齢以下のスコアで回るエージシュートを達成した。
国内レギュラーツアーでは初の快挙。尾崎はこの日、1イーグル、9バーディー、2ボギーだった。

【読売新聞】


やっぱりジャンボ伝説健在なり。永遠に破れない記録になるかもしれません。
by kura0412 | 2013-04-25 17:06 | スポーツ | Comments(0)

北島、現役を続行=平井コーチの指導で―競泳

昨年のロンドン五輪競泳男子400メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得した平泳ぎの北島康介(30)=日本コカ・コーラ=は4日、かつて師事した日本代表の平井伯昌ヘッドコーチの指導の下、現役を続行する考えを明らかにした。

北島は2004年アテネ、08年北京の五輪2大会連続で100、200メートルの2冠を達成。その後は平井コーチの下を離れて米国を拠点に練習していたが、「水泳人生の締めくくりは平井先生の指導で終えたい。一年一年を最後と思ってやる」と語った。東京都北区の国立スポーツ科学センターで行った公開練習で、報道陣の質問に答えた。
今後は、4月の日本選手権の50メートル平泳ぎ出場を目指す予定。北京五輪後は約1年休養したが、今回は「(長く)休んだら水泳ができなくなる不安がある」として、年明けから平井コーチの指導を受けて練習を開始。同コーチは「北島は楽しく水泳を続けている。早く調子が戻れば」と話した。 

【時事通信】



体が許す限り現役に拘りたいのだと思います。私も同じです。(笑)
by kura0412 | 2013-02-04 16:20 | スポーツ | Comments(0)

<松井秀喜引退>「プロ野球人生に区切り、ファンに感謝」

プロ野球・巨人で活躍し、米大リーグの名門ヤンキースで09年ワールドシリーズ制覇に貢献した松井秀喜外野手(38)が27日(日本時間28日)、当地のホテルで記者会見して現役引退を表明した。日米で「ゴジラ」の愛称で親しまれた松井は「20年間に及ぶプロ野球人生に区切りをつけたいと思った。応援してくれたファンに感謝を伝えたい」と胸の内を語った。

松井は昨秋、アスレチックスからフリーエージェント(FA)となったが、年齢による打撃の衰えにより今年は所属先がないまま開幕を迎えた。4月30日に大リーグで4球団目となったレイズとマイナー契約を結んだが、5月29日にメジャー昇格後も34試合に出場して打率1割4分7厘、2本塁打、7打点。8月にレイズを自由契約となっていた。
引退を決めた要因を松井は「結果が振るわなかったことが一番大きい」と説明。来年に向けて「やはりプレーしたい気持ちはあったので時間をおいて決断した。こういう気持ちに傾いたのはつい最近のこと」と明かした。現在の心境は「さみしい気持ちはあるし、ほっとした気持ちもある」と語った。日本球界への復帰は選択肢になかったとも話した。

松井は石川・星稜高時代から強打で知られ、92年夏の甲子園の明徳義塾高戦では「5打席連続敬遠」が話題となった。92年にドラフト1位で巨人に入団。本塁打王と打点王を3度獲得し、セ・リーグ最優秀選手(MVP)にも3度選ばれた。
02年オフにFA権を行使してヤンキースに移籍。
勝負強い打撃と勝利に貢献するひたむきな姿勢で1年目から主力に定着した。06年以降は左手首の骨折やひざの故障などに苦しんだが、09年ワールドシリーズは3本塁打の活躍で9年ぶりの優勝に貢献。日本選手で初めてワールドシリーズMVPに輝いた。

【毎日新聞】



野茂、イチローそして松井の三人は、日本のプロ野球の力を世界に示した大功労者です。
怪我で終盤は本来の力を発揮できず、更に上の結果が残せなかったのは残念でした。今後は、日米の経験を生かしてワールドクラスの選手を育成していれることに期待します。
by kura0412 | 2012-12-29 12:27 | スポーツ | Comments(0)

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