財政破綻で生まれた医療介護の「夕張モデル」とは

夕張市で示された新しい再生案
財政再建中で「後ろ向き施策」に追われていた北海道夕張市が「前向き施策」に向かうことになった。夕張市の策定した再生計画の見直し案に国が37日、同意したことによる。

炭鉱で栄えた夕張市は1960年には117000人の人口を抱えていたが、2006年に財政破綻して以来、若者やファミリー層の流出が止まず、遂に9000人を割ってしまった。

緊縮財政に邁進し、市長と約100人の市職員の給与をそれぞれ70%減、15%減に抑え、11校の小中学校をそれぞれ1校に統合、公園など公的施設を次々閉鎖してきた。水道料金を引き上げ、固定資産税や市民税もアップした。

一連の緊縮策で「借金」は、2016年度末までに約116億円返済できる。とはいえ、まだ折り返し点。2026年度末を期限に200億円以上が残り、その完済を目指し続ける。

ただ、このまま抑制策を続けていくと人口減が止まずに地域崩壊を招き、自治体としての存続自体が危ぶまれかねない。「高負担・低行政サービス」に耐えかねて故郷を後にする市民が今後も続きそう。

借金払って市民が消えては元も子もない。そこで、地域再生に舵を切った。「耐え忍んできた10年間だった。止まっていた時計の針を動かしたい」と鈴木直道市長は計画案公表の31日に話した。

新しい再生案では、市営住宅の再編を始め、認定こども園の新設、図書室などの複合施設の開設、市立診療所の移転などを打ち出した。市税も元の水準に下げる。ふるさと納税にも期待を寄せ、2026年度までの10年間に113億円の新規事業を投入する。ブレーキを踏みつつアクセルもふかす。

国も緊急時に交付する特別交付税を約12億円支給して手助けする。東京23区ほどの広大な市域に、それぞれの炭鉱ごとに公共施設や市街地、住宅などが分散しているが、できるだけ集約して効率性を高める。国交省が唱える「コンパクシティー」を目指す。この方針のもとで、新設の施設や市営住宅を清水沢地区にまとめていくという。

896自治体が人口減によって消滅する可能性
隆盛を誇った石炭産業が消えるとともに夕張市の沈下は始まった。1980年代から、「炭鉱から観光へ」のスローガンを掲げてリゾート政策に突き進み、めろん城やホテルなど様々な観光施設を建て続け、巨費を投じた。それが功を奏さないまま、借金隠しもあって年間予算の3倍超、353億円の累積赤字を抱え、2006年に自治体「倒産」に追い込まれた。

20073月に財政再建団体(現在の財政再生団体)に指名されて国の管理下に入り、20年計画で借金返済を求められる。予算編成は無論、細かい施策の一つ一つに国の同意が必要となった。

再建開始前の06年には約13000人だった人口は8600人に減少している。なかでも40歳未満のファミリー層や若年層がほぼ半減した。教育や子育て環境の不安からだ。そのため高齢化率が49%に高まり全国でもトップクラス。市民の半数が65歳以上となった。

人口が減ると商工業も衰退する。商工会議所の会員が10年前には316だったが、今や半減。シチズン時計やツムラ、マルハニチロなどの勤務先も少なくはないが、子育てを考える段になると去っていくという。

過去の負債を現在の市民に強いることでひずみが生じた。究極のひずみが人口減として現れ、現在進行形でもある。この道しか選択肢はなったのだろうか。

夕張市が歩んだ道は、今後、多くの日本の地域で起こる可能性が高い。有識者を集めた「日本創生会議」は、全国の半数の896自治体が人口減によって「消滅」する可能性があると推計している。

「わが町もゆくゆくは……」と不安に駆られた多くの自治体関係者が夕張視察に相次いで訪れている。「再生」への糸口を見いだせるのかを知りたいためだ。財政再建一辺倒から路線転換した夕張市が一段と注目が集めそうだ。

看取りの画期的な取り組みが
実は夕張市では、全国的にも「画期的」なことが起きつつある。マイナス面ばかりが強調される中で、日本の将来を先取りするような、まことに先駆的な事実が着々と広がっている。

高齢者の終末期、看取りについてである。それは「生」を充足させたうえでの「死」に臨む考え方である。

公営事業をことごとく見直しに入った夕張市にとって、医療機関も例外ではなかった。171床の3階建ての、市内で唯一の総合病院だった夕張市立総合病院を閉鎖した。同じ建物がわずか19床の小さな診療所と40床の老人保健施設に縮小された。

それまでの病院には、いわゆる社会的入院の患者も多かった。治療が不要になっても「自宅には戻れない」「安心のため」などの理由で長期に滞在していた。「腹痛でも救急車を呼んでいた」と話す市民もいる。その病院が消えてしまったのだ。

救急車での搬送先は隣町の病院になる。市民にとっては、医療に見放されたかのように思えたかもしれない。ところがである――。

まず、小さな診療所には在宅医療に熱意溢れる医師がやってきた。村上智彦医師である。夕張市は、村上医師が理事長の医療法人財団「夕張希望の杜」に指定管理者方式で運営を委ねた。10年の長期契約だった。

村上医師は、患者の自宅や特別養護老人ホーム、グループホームなどの施設に気軽に足を運ぶ。医師が自宅に来てくれると分かれば、退院を渋っていた患者も考えを改める。

予防医療にも熱心に取り組み出す。肺炎球菌ワクチンの効果を説き、胃ガンをもたらすピロリ菌の尿検査を始める。高齢者の死亡原因としてベスト3に入っていた肺炎死を減らした。

村上医師は地域住民に健康管理の重要性を説いて回った。本人が望んでいる自宅生活を続けることに手を差し伸べた。その活躍ぶりはマスコミに度々登場することで知られ、2009年には若月賞を受賞。地域医療の旗手として名声を高めた。20125月まで5年間所長としてリーダーシップを発揮したが、プライベートでの不幸な事件で引責辞任に追い込まれる。

その後、診療所の所長は次々変わったが、訪問診療に力を入れる志は引き継がれた。訪問診療を受ける患者数を見ると、村上医師が着任した翌年の2007年に44人、その後増え続けて2012年には120人になる。病院時代にはゼロだった。様変わりである。

医師が日常的に自宅や施設に来てくれれば、遠くの病院へわざわざ足の延ばす必要もなくなる。最期まで自宅で踏みとどまる気持ちになり、看取りを受け入れる。自宅介護が難しい高齢者が入居している市内唯一の特別養護老人ホーム、清光園でも同様のことが起きてきた。

ちょうど4人部屋から個室ユニットへの転換時だったこともよかった。プライバシーが確保された個室になると、自室での看取りにつなげやすい。特養での看取りが増えたが、この10年ほど市内の全死亡者数は200人前後と変わらない。医療機関が縮小したからといって、死亡者が増えることはなかった。死のあり方が変わったのである。

病院で亡くなれば、当然ながら死亡診断書には特定の病名が書かれる。だが、高齢者の多くは複数の「病気」を抱えている。老衰による細胞劣化が全身に及ぶためである。たまたま劣化が早い特定の臓器を病院では病名を付けて診断するだけのこと。

複数の臓器が同時に劣化しても、延命治療に走らなければ穏やかに亡くなることができる。訪問診療医にとっては当たり前のことだ。どの生物にも共通する自然の摂理である。日本人はそうした亡くなり方を「大往生」と呼んで、称えてきた。先人の素晴らしい表現である。

いまでは、自然死や平穏死、尊厳死と言われる。死亡診断書では「老衰死」と書かれる。夕張市での老衰死の数字を追うと、財政破綻後から急に増えている。それまではずっと03人だったが。村上医師がやってきた翌年に5人となり、その3年後には15人。5年後にはなんと30人に達した。

とりわけ特養での看取りが多い。2013年には市内の老衰死22人のうち17人、14年は同16人のうち11人が特養で亡くなった。半数以上である。診療所の医師や看護師が、訪問診療と訪問看護に熱意を傾けた結果と言えるだろう。

こうした、破綻後の夕張の医療事情を調べ上げ、20159月に書下ろしの単行本「破綻からの奇蹟~いま夕張市民から学ぶこと~」として発表したのが医師の森田洋之さん。同書は昨年11月、2016年度の日本医学ジャーナリスト協会賞の優秀賞を受けた。

森田さんは、夕張市立診療所に20094月から1年間勤務し、20135月からほぼ1年間は3代目の所長だった。村上路線を引き継いだ当事者による実体験を踏まえ、加えて一橋大学の経済学部出身だけに、経済効果まで分析している。

それによると、夕張市の高齢者1人当たりの医療費は、破綻前の2005年は839000円だったが、診療所体制に移行した翌年の2008年には724000円へと急減する。その後も70万円台が続く。

一方、北海道全体の同平均医療費は増え続けている。2012年には86万円となったが、夕張市は797000円にとどまった。約6万円も少ない。医療費抑制に大きな効果があった。後期高齢者の1人当たり医療費も約102万円で、北海道平均の約109万円より低い。

病院が消えたのに医療費は下がり、北海道全体よりも下回っている。病院がなくても高齢者の不安は醸成されなかった。むしろ、病院がない新しい環境を受け入れたようだ。

森田さんは、その住民の意識転換こそが重要だと指摘する。著書の中で「ある程度の年齢になったら、いずれ医療では解決できない問題がやってくる。『それが天命だ、老衰だ、自然死だ』との終末期に対する市民の意識が変わり、『文化』というレベルにまで夕張市民を変えた」と綴る。

病院が消えたことで、市民の間で病院依存心がなくなり、死生観の変化をもたらした。終末期のいよいよの段階になると、βエンドルフィンやケトン体の効果で陶酔感に浸ることができると言われる。脱水症状で意識も落ち、安らかに旅立つ。こうして夕張では老衰死が増えてきた。

病院が消えたことで医療への向き合い方が変わり、病院から在宅医療への道が拓かれ、そして大往生が増えたことが分かった。

日本人の死亡場所の80%近くは病院であるが、欧州諸国は50%前後。オランダは既に30%を下回った。在宅医療や在宅介護が浸透すれば死亡場所も、本人が望む「非病院」「在宅」になっていく。その引き金が、夕張市では総合病院の閉鎖にあった。

病院が多いと地域の医療費は高くなる、というのは定説である。財政破綻した都市で、定説が裏付けられた。奨励してもなかなか浸透しない在宅医療だが、思い切った外科手術もひとつの策ではないだろうか。

自分で自分の最期の姿を選びたい
昨年の15日に全国紙で女優の樹木希林さんが、ハムレットのオフィーリアに扮して森の中の池で横たわる姿が登場したことを覚えているだろうか。「死ぬときぐらい好きにさせてよ」という衝撃的な、大きなキャッチコピーが紙面に踊ったユニークな企業広告である。

その文中で、本人が「死を疎むことなく、死を焦ることもなく。ひとつひとつの欲を手放して、身じまいをしていきたいと思うのです」と記している。また「生きるのも日常、死んでいくのも日常」とも話している。

 家族や医師によって病院で亡くならざるを得ない状況の日本。樹木希林さんは、その死に方へ「おかしい」と訴えた。自分で自分の最期の姿を選びたい、そんな思いが込められている。

夕張市ではそうした状況に近付いているように見える。日本で近い将来、起きるであろう死生観の転換が始まっている。

この4月には、診療所の指定管理事業者が替わる。札幌市で東苗穂病院などを運営する医療法人社団・豊生会が、やはり10年間にわたって運営に乗り出す。

既に同会の医師など専門職が夕張市立診療所で活動しており、在宅医療重視の姿勢を引き継ぐと見られる。

診療所自体も再生事業の一環として中心部に移転する。その費用25億円も認められた。再建計画が動き出して10年、新体制で次の10年を迎えることになる。

(DAIAMOND ONLINE
・浅川澄一)


by kura0412 | 2017-03-16 09:37 | 医療政策全般 | Comments(0)

コラムニスト・鞍立常行が日本の歯科界に直言
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