『QOLの視点を導入すると延命だけの医療は望まなくなる』

年間3500万円かかる抗がん剤は国民皆保険を破壊するか?

「オプジーボ」という抗がん剤の値段が、年間約3500万円と非常に高額なために、この薬剤が使われる範囲が広がることで、「国民皆保険の崩壊につながる」という議論が盛んである。ただし、この議論には、2つの視点、つまり「医療政策担当者としての視点」と「患者としての視点」とが混在してしまっているので整理してみたい。(多摩大学大学院教授 真野俊樹)

「オプジーボ」の使用が増えても国民皆保険は崩壊しない
まず、医療政策上の視点である。
論争になっているのは、「オプジーボ」のような高額医薬品の登場により、国民皆保険が崩壊するのか否か、という議論である。
「オプジーボ」の使用については、結論ははっきりしている。この薬剤の適応が今後さらに拡大し、どんどん使われたとしても国民皆保険の崩壊はあり得ない。それは、薬の値段である薬価が「公的価格」であるからだ。
そもそも財政的な制約を前提にしており、適応拡大によって薬剤の売り上げが増加しても国民皆保険が維持できる範囲内で薬価が規定されるからである。
つまり、国家が薬剤の値段である薬価を決めているので、製薬会社が自由に医薬品の価格を決められる米国などとは大きく異なるのである。

高額薬剤を「狙い撃ち」した「特例拡大再算定制度」が導入
ただ、問題はさほど簡単ではない。
というのは、今後、第2、第3のオプジーボ、つまり、超高額な医薬品が今後生まれてくる可能性がきわめて高いからである。
実際、日本で2015年に発売されたC型肝炎に対する薬剤も、薬剤の種類によって値段は違うが、治療によって数百万単位の薬剤費がかかるといわれる。近年、がんやリウマチ、肝炎などの難病分野では、治療効果が高い半面、製造コストや開発費の問題から高額な医薬品が増えている。このような高額な薬剤が次々に生まれてきたときに、国民皆保険を維持するための財政は耐えられるのであろうか。
実は、2016年度からこのような高額薬剤を「狙い撃ち」したような薬価算定制度が導入された。具体的には「特例拡大再算定制度」と呼ばれるものである
特例拡大再算定とは、年間販売額が極めて大きい品目の取り扱いについて、(1)年間販売額が1000~1500億円で予想の1.5倍以上のものについては、薬価を最大25%引き下げ、(2)年間販売額1500億円超で予想の1.3倍以上では薬価を最大50%引き下げる、というものだ。
半ば懲罰的な仕組みであるが、今後も医薬品に対して、このような制度の導入は可能である。今後も「国民皆保険が危ない」ということになれば、もっと厳しい制度が導入される可能性もあろう。

一方、医薬品以外の他の医療技術でも高額な医療が普及しつつある。
例えば、がんに対する重粒子線治療では数百万円のコストがかかるし、加速型ホウ素中性子補足療法ではそこまでではないにせよ、100万単位の治療費が必要になるであろう。
もっとも病気自体を完治させれば、結果的に医療にかかわる財政的な負担も減るはずである。
例えば、先述したC型肝炎の薬剤の場合には、治療効果が極めて高く、「完治が可能」と医療現場での評価も高い。このため、その後の治療費を考えると、費用対効果ではプラスになるといわれる。

国民皆保険は維持できても医療サービスの水準が下がる可能性は残る?
ここが財政面から見た医療政策上のポイントである。
つまり、お金の面からだけ考えれば、費用対効果がプラスになる薬剤は高額でも保険に収載すればよく、そうでないものは保険に収載しなければいい(自費で支払う)、という帰結である。
実際、英国ではこのような費用対効果の考え方を医療に取り入れている。荒っぽく言えば1年間の延命治療費用が約500万円以内であれば、国の負担、それ以上であれば個人の負担という考え方になっているのだ
以上が、「国民皆保険を維持できるか」といった医療政策に関する議論の答えである。
つまり、国が強力に医療費をコントロールできる権限を持っている日本や英国のような国では、その気になれば財政制約を行うことができるので、国民皆保険の維持は可能である。

もっとも、消費税増税が延期になったように、当事者間のパワーバランスで、財政規律が保てない事態は容易に予想できる。
すなわち、「医療費は制限すべきでない」と考える医療サービス提供者や患者が、財政規律の維持に反対するということである。厚生労働大臣の諮問機関で薬価を決める審議会である、中医協(中央社会保険医療協議会)での議論の混迷を見ると、不安になるのは筆者だけではないであろう。
つまり、「国民皆保険の崩壊」とまでは行かなくても、将来的には、医療費の財源不足が深刻になれば、現在、享受している水準の医療サービスが受けられなくなる可能性は大いにあるのだ。

自由な受診と高額医療を比較した場合  患者視点では高度医療の方が重要?
これから保険制度や医療制度が徐々に変わっていく中で、患者が何を最も大事にするのか、患者自らが、医療の受け方について真剣に考えねばならなくなる。
日本の医療は、「国民皆保険」のほかにも、「受診する医療機関を自由に選べる(フリーアクセス)」、「安い医療費で高度な医療が受けられる」という大きな特徴がある。
これらの3大特徴について、お金(財源)が限られた場合、どれを優先すべきなのかと考えたことがあるだろうか。とりあえず、国民皆保険は大前提とした場合、残り2つの特徴について考えてみたい。
まず、1つ目は、フリーアクセスの問題である。現在の日本の医療制度では、風邪をひいたりしたときなどは、すぐに医者を受診できるといったメリットがある。
実際、筆者は数日前に、軽い顔面神経麻痺になったが、すぐに耳鼻科の医師にアクセスすることができたので、適切な治療を選択することができた。日本の医療制度の良さを感じることができた瞬間である。
外国では大病院でなくても、医療機関の受診には予約が必要なことが多い。実は、日本のように気軽にあちこちの医療機関を受診できる国の方が圧倒的に少ない。
2つ目は、がんなどの難病にかかった際、どこまで安く、高度な医療で治療できるかという問題である。日本では、医療費の自己負担額が高額になった場合、一定の金額の超過分が、後で払い戻される「高額療養費制度」がある。その一方、重粒子線治療などの「先進医療」を受けた場合、先進医療の費用分は全額自己負担となる。
この上記2つの特徴うち、どちらを優先すべきか。例えば、1つのフリーアクセスを我慢する代わりに、先進医療のような高度医療にも「保険適用すべきだ」という人もいるだろう。
これはまさに、がんなどの難病治療が対象であり、「命の値段が金次第」になる分野だからである。実際、「この方が重要ではないか」と思う人も多いのではないだろうか。

しかしながら、難しいのは、先ほどのC型肝炎の薬剤などのように、これから開発される高額薬剤や医療技術は、病気を治すばかりではなく、延命あるいは病気の悪化を食い止めるものが大部分であることである。
すなわち、完全に治るためではなく、「延命のために、いくらまでお金をかけるか」、という議論になってしまう点である。

QOLの視点を導入すると延命だけの医療は望まなくなる
確実に病気が治るのであれば、例え、高額な薬剤や治療法であっても「保険に収載されている方がいい」と考える人が多いだろう。ところが、完全に治って元通り健康になる確率が必ずしも高くない場合、考え方が変わると、筆者は考える。
数ヵ月~1年間の延命のための高額な薬剤の保険収載、あるいは病気の悪化予防のための薬剤を望むのかどうなのか、難しい点があると思うからだ。
これは、患者の間にQOL、すなわち、個人の「生活の質」という考え方が普及してきたためである。病気で不自由なまま長生きするのを必ずしも良しとしないQOLの考え方は、個人によって何を重視するのかが異なる点に特徴がある。

自分が医療に対して何を望むのか国民が議論していくことが重要
この極端なケースが、オランダなどで法制化され、米国の一部の州などでも法制化されてきている安楽死の考え方である。つまり、苦痛のない死を選ぶ人は安楽死を行うことが認められている。また、世界的なホスピスの普及も安楽死ほど極端ではないにせよ、QOLの重視の考え方の普及である。
実は、政策決定のところの費用対効果の考え方にもQOLの視点は入っている。
しかし、そうはいってもQOLは個人の価値観の問題が大きいので、線引きが難しい。ある人は90歳でもギリギリまで生きたいと高度医療を望むかもしれないし、ある人は75歳でもQOLを重視して、単なる延命的な医療を望まないかもしれないし、ある人は安楽死を選びたいと思うかもしれない。
筆者としては、「国民皆保険が維持されるのか」といったエキセントリックな話題に飛びつきすぎずに、状況をまず正確に理解し、自分が医療に対して何を望むのかということを、国民が議論していくことが重要ではないだろうかと考えている。

【真野俊樹・DAOAMOND ONLINE】
by kura0412 | 2016-10-04 15:19 | 医療政策全般 | Comments(0)

コラムニスト・鞍立常行が日本の歯科界に直言
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