『週刊誌の「医療叩き」はなぜ起こるのか』

週刊誌の「医療叩き」はなぜ起こるのか

最近、各週刊誌等で医療に関する特集が多く見られる。その大半が手術の断り方や薬のやめ方など、手術や医薬品、治療方法の危険性を強調した内容に終始している。このような記事が多く読まれる背景には、相変わらず世間に「医療不信」が根強く残っている証左とも言えよう。それでは、実際に日本の医療レベルは低いのか。検証してみた。(多摩大学大学院教授 真野俊樹)

医療レベルを測る指標により
国際比較が可能になりつつある

最近、週刊誌も含め医療不信の話題がかしましい。実際に日本の医療レベルはそこまで低いのであろうか。
医療のレベルを図るには様々な指標がある。大別すれば、治療実績に関するものと、医療経済的なものに分けられる。前者は、個別の疾患の予後のように、その医療でどの程度病気を治すことができたのか、という指標である。これはどこの病院に名医がいるのか、がんの治療においてどこの病院が優れているのか、といった内容なので、一般の人にもわかりやすい。
後者の指標は、例えるならば、「吉野家」の「うまい、早い、安い」ではないが、国民にとって、良い医療が廉価でアクセス可能なのか、という指標である。こちらは、マクロ的な話になり、その国の医療制度(日本でいえば国民皆保険制度)が深く関係するので、一般の方は言うに及ばず、医療の専門家である医師にとっても、なじみがなく、医療経済や医療制度の専門家以外はあまり考えることがなかった。
しかし、国際的には、後者の指標の方が比較しやすかった。例えば、OECDなどに、各国の政府がデータを提出するので、その間での比較ができたからである。
ただ最近では、データ集積技術の進歩に伴い、前者の、国民全全体になじみやすい指標についても国際比較ができるようになってきたのである。

実際に比較してみれば
国際的には評価が高い日本の医療
こういった指標において、実際に国債比較した場合、日本の医療レベルは低いのであろうか。
決してそんなことはなく、むしろ、高いのである。例えば、「大腸がん」にかかり、医師の治療を受けたとする。OECDデータにおける5年生存率は、主要先進国の中では日本が世界一なのである。
であるがゆえに、日本経済の再生を目的とする「日本再興戦略」などでも日本の医療を海外に輸出しようという話になるし、アジアにおいての日本医療への関心は高く、病気の人がわざわざ日本に治療を受けにくるという、「医療ツーリズム」が起きている。
つまり、「うまい、安い、早い」に照らして考えれば、「うまい」が保障されていることになる。また、国民皆保険制度下にある日本医療では、患者の自己負担は廉価である(もちろん、皆保険の財源をどうやって維持していくのかという問題はあり、非常に重要な問題であることは百も承知であるが、今回は、自分が重い病気にかかり、いい医療を何が何でも受けたいという立場で考えてみた)。
さらに、「早い」に相当する医療機関へのアクセスも、日本は優れている。例えば、英国などでは、日本の「義務教育」のように、公費で賄われる医療は「学区制」のようになっており、いきなり病院の専門医を受診することはできない。
まとめて言えば、個別の医療レベルも高く、医療制度も優れているということになる。

なぜ医療バッシングが起きるのか
患者が抱える不満・不安が根幹
それでは、なぜ、医療バッシングが起き、今のように週刊誌で、それが大ブームになるのであろうか。やはり、自分が受けている医療サービスや接している医療関係者に対し、少なからず、何らかの不満や不安を抱えているからであろう。
その背景の一つには、データの集積により、国際的な医療比較だけではなく、国内の医療の比較も可能になった点があろう。例えば、手術数の病院ごとの差、のデータが紹介され、様々なサイトで、病院ごとの医療レベルに差があるのではないか、ということが如実に示されている。自分の受けている医療や医師について、「大丈夫なのか」という不安が生まれるのは当たり前であろう。
しかし、一方で医療サービスに対する評価は難しい。特に、医療の場合には、医療サービスを提供している医療者であっても、その提供しているサービスの結果に100%保証をすることができない。「最善を尽くす」ことしかできない特殊なサービスなのである。
昨今のバッシングが薬剤についてのものが多いのも、医療サービス評価が難しいことを裏付ける。消滅してしまう医療サービスや、通常、人生に1度か、2度しか経験しない手術に比べれば、薬剤は形があり定期的に服用するものなので評価しやすいのである。

医療者側にも問題
患者を見ていないのではないか
むろん、医療者側にも問題は大いにある。医学による「正しい」治療や診断あるいは診療報酬など経済的問題を追求するあまり、“顧客”である患者を見ていないのではないか。
いやいや、「自分は“患者第一”で行っている」という医療者が大半であろうが、現実にここまで医療バッシングが起きている点に、何も理由がないわけはあるまい。
最近では、一時期経営不振に陥ったファーストフード店のマクドナルドがキャッチコピーを「made for you」に変えた。これは、従来の「fast」の訴求から、オーダーメイドによる質の追求に移行した表れであろう。このように、「うまい、安い、早い」のようにすべてを訴求することが難しい時代になってきているのである。
この方策が成功するかどうかは問題ではない。重要なことはこのような対応の変化が、顧客を重視し、顧客の思いを感知して行われたことである。翻って、医療界では、急性期医療の「キュア」だけではなく慢性期医療や介護を含めた「ケア」も重要だ、といわれるようになっては来たが、これはマクロの話であって、個別の患者対応に変化が起きているとは言い難い。
すでに海外では、ICT技術を使って、患者が積極的に自らの医療に対して参加する仕組みができつつある。彼我の差は、大きいと言えよう。

医療は患者の協力があって成り立つ行為
医療不信は患者側にとってもマイナス
医療不信については、医療関係者だけでなく、患者も意識して避けるように努力した方がいい。理由は簡単で、「病気」という敵を倒すには、医師などの医療者の力だけでなく、患者自身の協力が不可欠であるからだ。医療不信が広がることは、患者側にとっても結果的に不幸でしかない。
マグドナルドや、吉野家に対しては、嫌いであれば競合他社を選ぶという選択肢がある。もちろん、少ないながら医療でも「競合他社」を選ぶことはできる。その極端な例が、自国が関与する医療に対する不信の結果、他国の医療を選択するという医療ツーリズムになる。
ただ、ここでは選択肢の話ではなく、もう少し本質的な点に触れて本稿を終わりたい。
つまり、繰り返しになるが、医療は患者の協力がなくては完結しないものであるという点だ。例えば、薬剤である。薬剤に副作用があるとしても効果があるから承認されているわけだ。一方の民間療法は効果が不明確であるがゆえに承認されていない。
しかし、医師だからといって強制的に薬剤を飲ませるわけにはいかない。患者が医師や日本の医療を信じ、薬剤を服用することで医療が完結する。注射にしたって同様である。患者が暴れて注射をすることができなければ、医療は完結しない。
このように、特殊なサービスである医療サービスにおいては、医療者と患者の信頼関係と患者側の協力が不可欠である。旧来の日本の医療に見られた、この「良き伝統」を失わないようにするためには、医療者と患者、両方の努力が必要なのではなかろうか。

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by kura0412 | 2016-08-22 08:46 | 医療全般 | Comments(0)