コラムニスト・鞍立常行が日本の歯科界に直言
by kura0412
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ミラーを片手に歯科医師の本音
回想

本紙閉刊に伴いこのコラムも今回で最後となります。平成10年9月から19年間、筆が進まない時もありましたが、締め切りを遅らせることもなく、また大きなトラブルもなく終えることにある意味安堵しております。ただその中で一度だけで校正まで終えながら書き直したことがありました。それはあの「日歯連事件」と称された事件が勃発した時でした。
あの時は一人の開業医でしかない私が、社会事件になるほどの大事件に対して実名で書くことに躊躇しましたが、事件に対していろいろな観点から憤りを感じ、もし問題となれば歯科医師を辞める覚悟をもって書きました。この事件によって日本の歯科界に大きな変化があったことは多くの先生方が感じられたことです。今思えばその内容は別として、あの時書き綴っておいたことが、その後連載を続けられた源になっていたかもしれません。
然るに風化しつつあるあの事件の本質は何だったのか。その手法に対しては司法判断が下った結果が示されていますが、事件の根本には、現在も続く歯科医療に対する公的評価の低さを何とか打開しようと考え方がありました。この点を誰もが分かっているのに言葉に出ていません。但し結果的には中医協委員が1名減員、事件後の懲罰的な18年度改定となり、歯科界の思いとは反対の流れを作ってしまいました。特に改定では、それまでの改定時で、技術料を引き下げながら作った僅かな財源を「かかりつけ歯科医」初再診料に振り分けながらも、「かかりつけ歯科医」を一気に消し去られたことによって、保険点数全体が縮小したと共に、時代の流れである「かかりつけ歯科医」という名称、概念をも否定されることになってしまいました。そして事件によって植え付けられた歯科界の負のイメージは現在も引きずっています。
日本の歯科界は今、大きな分岐点に差し掛かかり、新しい息吹が入る機運も高まっています。但し、この負のイメージを引きずったままでは大きな壁が存在します。あの事件は終わったのでなく、まだ背負っており、それを回顧することで歯科界の課題を改めて見出すことが必要です。
残念ながら現在、日歯、日歯連盟共に入会者、特に若い先生の入会が減少しています。事件の影響、また、入会することへの利点を見出せず、医療環境向上寄与への期待が薄らいでいるからです。個人で個々の臨床現場での対応出来ても、政策を変えるには一つの塊にでなければパワーが発揮できないだけに、この問題は歯科界発展の最大の課題です。その為には、過去の問題となった出来事を背景も含めて改めて見直し、そして新しい目標を示す。それも抽象的でなく、具体的な分かりやすい政策を提示することで歯科界の展望が分かることで推進力の働きとなります。
最後に、本コラムを続けなければ会うことの出来なかった全国の先生方と交流できたことは、私の歯科医師人生としての財産となりました。そして、好き気ままに綴ることを甘受して頂き、連載を許して頂いた歯科時報新社・吉田泰行社長に感謝を述べ終わります。ありがとうございました。
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自民党の派閥化再然とマスコミは騒ぎたてますが

もう「グループ」と呼んだらどうか!小学校のクラス分け程度の意味しかなくなった自民党派閥の無力化

自民党の派閥研修会が新聞紙面をにぎわすようになった。新聞社によっては「派閥復活」という見出しを付けるところもある。だが、派閥全盛時代を知る記者のひとりとして強い違和感を感じている。派閥の強さ、とりわけ派閥領袖と構成する議員との関係が根本的に変わっているからだ。

議員ひとりつくるのには5億円かかった
派閥の役割はカネ、ポスト配分、選挙応援の3つだった。この3つとも、今の派閥には無きに等しい。
まず、カネ。私が田中派、竹下派を担当していたとき、元首相・田中角栄、元副総裁・金丸信らは膨大な資金量を誇り、それを配った。田中は訪れた議員に数千万円のカネを渡した後、「次、いつ来る?」と聞いた。20年以上の前のことだが、金丸は当選1回の衆院議員が亡くなったとき、しきりに「もったいないことをした」とぼやいた。理由を尋ねると「彼には5億円を回していた。それなのに、すぐ死なれちゃかなわんよ」ということだった。
議員ひとりを当選させるのに、派閥は5億円もの資金を投入していたということだ。だから、当選してきた議員は恩義に感じ、派閥領袖の指示に従った。
「親分が『右を向け』といったら右、『左を向け』と言ったら左を向くのが派閥だ」―。金丸がこう言った派閥の秩序は、親分が子分のカネの面倒をみることによって成り立っていた。今どき、当時のような資金を提供できる領袖は不在であり、議員はカネをもらっても「どっち道、出所は政党交付金だろ」と思っている。
内閣改造・党役員人事になると、派閥領袖は時の首相に「推薦名簿」を提出。首相は推薦名簿を元にして人事を進めた。推薦名簿に登載されなければポストに就けないわけで、派閥の議員は領袖にゴマをすった。これに対し、昨年暮れに発足した第2次安倍内閣では閣僚はもちろん、副大臣・政務官も官邸で決め、直接、本人に通知された。

選挙応援も重要な派閥の役割だった。領袖クラスが応援に行く時、数百万円のカネを持って行くのが常識だった。また、彼らが行けば人が集まった。
今の派閥の会長で聴衆が集まり、かつカネを持って行ける人がいるのか。派閥会長を列挙すると、元外相・町村信孝、元財務相・額賀福志郎、外相・岸田文雄、副総理兼財務相・麻生太郎、総務会長代行・二階俊博、環境相・石原伸晃、前副総裁・大島理森―の7人。人が集まるのは麻生、石原、岸田ぐらいだろう。
昨年暮れの衆院選、今年7月の参院選で党の看板となったのは首相・安倍晋三、幹事長・石破茂、青年局長・小泉進次郎の3人だ。彼らは党の情勢調査に基づき、情勢が厳しいところを重点的に回った。

「グループ」に名称変更を
このように派閥が無力化してきたのは1994年に政治改革法が成立し、96年衆院選から現在の小選挙区比例代表並立制が導入されたのが大きな原因だ。
それまでの中選挙区制ならば同じ選挙で複数の自民党候補が立ったので、その数だけ派閥が必要だったが、定数1の小選挙区制では党中心の選挙となる。カネの面でも、選挙制度変更に伴い、政党交付金制度が導入され、2011年の政治資金収支報告書(総務相所管の中央分)をみると、自民党でさえ、交付金依存率は72.5%と7割を超えた。
政権運営についても派閥領袖の影は薄い。金丸は毎週木曜日昼に行われた派閥総会でのあいさつで「北方領土を買っていい」とか「日銀総裁のクビを切ってでも公定歩合を下げさせろ」とか物議を醸す発言を行い、それが大きく報道されて政治が動いたことがあった。今、そんなことを言う領袖はいないし、言ったにしても失笑を買うだけだろう。
たとえば、重要な政治課題となっている環太平洋連携協定(TPP)交渉で自民党のまとめ役となるTPP対策委員長・西川公也は官邸の意向を体して動き、派閥領袖の意向とはまったく関係がない。派閥領袖は政策決定にもかかわっていないのである。

メディアは派閥を大々的に取り上げるのをやめたらどうか。資金力も、人事権も、さらに政策決定権も失っている派閥に政治的意義はほとんどない。名称もいっそのこと「グループ」にしたらいい。情報交換の場として有効であっても、実際には小中学校のクラス分け程度の意味しか持っていないのだから。

【田崎史郎「ニュースの深層」】



自民党の国会議員がこれだけ増え、何がしかのグループが出来るのは当然のことで、旧来の派閥とは違いと私も感じています。
現在でも、副大臣以下の人事に便宜的にグループの意見は聞いているとの話は聞いたことがあります。そして何と言っても大きく違うのがグループ(派閥)のトップが首相、党首を勝ち取るためにグループを束ねるという議員が殆どいません。
by kura0412 | 2013-08-27 14:46 | 政治 | Comments(0)