「熟議」のはずですが

近聞遠見:「熟議」という新しい思想=岩見隆夫

また言葉にこだわるが、一つの言葉が思想を生み出すことがある。むずかしく考えることはないが、
<熟議>
には多少そんな感じが伴っている。
菅直人首相はさきの施政方針演説で、この言葉を2度使い、
「今度こそ、熟議の国会となるよう、国会議員の皆さんに呼びかけ……」
と締めくくった。その後の論戦でも、菅は何度か使い、野党席からは、
「何が熟議だっ!」
とヤジも飛んだ。

与野党が政策協議のテーブルにつけるかどうかが、政権の命運を左右しかねない菅にとって、<熟議の国会>が活路を意味するキーワードになりつつある。この新語が気に入ってもいるようだ。
しかし、菅も野党議員も言葉にこめられた含意を、どのくらい理解しているのだろうか。字面から、熟した議論を十分にする、といった程度なら、浅い。
もともと、投票し多数決で決める、という<集計民主主義>は硬直化の傾向にある。数に対する信奉は、選挙至上主義にもつながった。それを補うものとして、欧米では90年代から<熟議の民主主義>の考え方が取り入れられている。

<熟議>という日本語を当てはめたのは、民主党政権発足時から副文部科学相をつとめる鈴木寛(かん)(参院議員・東京選挙区)で、鈴木のいわば造語だ。教育界ではすでに鈴木のイニシアチブのもと、多様な<熟議教育>の実験が始まっている。
鈴木は昨年9月、「『熟議』で日本の教育を変える」(小学館)を刊行した。その直後、菅首相から、声がかかる。
「あの言葉を使っていいか」
「お使いになるのはいいが、よく意味を理解して使ってくださいよ」
「わかった」
というやりとりがあった。小沢一郎元代表と対決する民主党代表選の直前である。折り返し仙谷由人官房長官から、

「菅マニフェスト(政権公約)に入れるよ」
と連絡があった。<熟議>が政治の表舞台にデビューした瞬間と言っていい。野党時代から、仙谷らとは、
「民意をバランス良く吸収するには、多数決という固定化したシステムだけではむずかしい。既得権益を守ることになりがちだ」
などと議論してきた仲である。

さて、<熟議>の意味は何か。鈴木の著書によると、<熟議の民主主義>はドイツの社会学者でコミュニケーション論の第一人者、ユルゲン・ハーバーマスが言い出した言葉で、
<彼は何十年も前に、民主的手続きの中からナチスが出てきたことを反省し、熟議が必要だと主張した。大衆民主主義における議会での政治的討議は、それだけでは宣伝の対象にされ、選挙でさえ見せ物になってしまうと指摘したのです。日本でもそうなっている。民主主義を複線化して、代議制民主主義を現場での熟議で補完することが必要です>
と書いた。

熟議とは、熟慮して議論すること、熟した議論をするのと同義ではなく、前段がある。まず自分の中で考えを磨き、温め、煮詰め、それから他者との議論の場に臨む。他者を批判する前に、<自分>を真剣に問う。そんな議論の習慣が身に着けば、国会も面目を新たにするかもしれない。鈴木は
「菅首相はよく理解しておられると思う」
と言うが、まず<熟議>の思想を語り、自ら範を示すのが肝心だ。(敬称略)

【毎日jp】



昨日の予算委員会のかみ合わない質疑を聞くと、熟議にはほど遠い印象でした。
ということは、このねじれ国会の行く末は全く不透明ということです。
by kura0412 | 2011-02-02 09:02 | 政治 | Comments(0)