「高野孟:小沢神話"は終わった- 民主党代表選の結果」

小沢神話"は終わった ── 民主党代表選の結果

14日に行われた民主党代表選は、大方の予想に反する大差で菅直人首相の勝利に終わった。何よりも予想外だったのは、国会議員票で菅が412票(206人)を得たのに対して小沢一郎前幹事長が400票(200人)に止まったことである。それが僅差だったことを以て、小沢側近からは「党内をほぼ二分する健闘を示したのだから菅も小沢を無視できまい」とする強気の意見も漏れ伝わるが、それは戯れ言で、国会議員票で小沢が菅を上回ることが出来なかったのは、ほとんど致命的な敗北である。

考えても見よう。党内最大の小沢グループ150人、早々に小沢を支持した鳩山グループ50人と羽田グループ20人を合わせれば、それだけで220人で、緒戦段階ですでに過半数を制している上、輿石東参院議員会長や赤松広隆元農相ら旧社民党系の過半や松木謙公など旧民社党系の一部も小沢支持である。もちろん、同党のいわゆるグループは、カネとポストで結束するかつての自民党の派閥とは違って、勉強会に出席する登録メンバーにすぎず、1人で2つ3つのグループに属している者もいるようなまことに緩やかなものだが、それは菅支持の各グループとて同じことで、差し引きトントンというところではないのか。
加えて、選挙での虱潰しの組織工作には練達している小沢陣営のことであるから、投票の1週間ほど前だったろうか、山岡賢次副代表が「小沢支持が[国会議員の数で]50人以上、上回っている」と豪語するのを聞いても、「たぶんそのくらいの開きがあるのだろうな」と思っていた。
山岡が正しいとすると、国会議員票はおよそ230人(460票)対180人(360票)になるから、それから逆算して、地方議員票50:50、党員・サポーター票100:200くらいになると想定して両者610票前後で拮抗、どちらが勝ってもおかしくないというのが私の事前判断だったし、実際に前日まで両陣営の要所のどちらに聞いても「本当に分からないんですよ。国会議員票で小沢が上回るのを菅が地方票でどれだけカバーするのか、いずれにしても51:49といった僅差で、どちらが勝ってもおかしくない」とのことだったので、私は内外メディアからの取材にそのように答えていた。
開けてみればこの結果で、これがもし小沢が負けはしたけれども国会議員票では菅を上回っていたということであれば、菅側としては、小沢自身を実権あるポストに処遇し、まさか幹事長を渡すわけにはいかないけれども、まあ小沢が我慢できる中間派の誰かを据えると言った妥協策を講じなければならなかったろう。しかしこれで少なくとも小沢自身に関しては、(「最高顧問」への就任を要請し、小沢が断るという手順を踏んだ上で、結果的にそうなったという形をとって)「しばらく静かにしていて頂く」ことになるのではないか。

●狭義の「政治とカネ」の問題
党員・サポーター票が大きな差となったのは、300選挙区ごとに総取り方式を採っていることによるもので、実数は、地方議員票と同様、菅が小沢の1.5倍を得ているに過ぎない。しかし、それにしても小沢がこの壁を突破できなかったのは、「政治とカネ」の問題について党内・支持者・国民に対する「説得責任」を果たしてこなかったからである。
検察に対する「説明責任」ということであれば、彼はこれまで充分に果たしてきたし、検察審査会の再議決を前に4度目の聴取を請われればそれにも応じるつもりだろう。この件に関して説明責任が問われるのはむしろ検察とその言いなりで悪質報道を垂れ流してきたマスコミである。とは言え、だからといって小沢がただ「検察が散々調べて不起訴と言っているのだから、私にやましいところはない」とだけ言い放っていても、ならば秘書と元秘書が起訴されたのは検察が正しかったのかということにもなってしまうし、一向に国民の胸にわだかまる疑念を晴らすことにはならない。
本論説が繰り返し述べてきたように、いくら捏造と歪曲によって作られたものであっても世論は世論なのであるから、それを小沢と民主党政権にとっての所与の環境と見据えて正面から突破する作戦を採らなければならなかった。それには小沢は記者会見を開いて、問題とされた土地の購入にまつわる資金の出し入れと帳簿への記載について自分の言葉で余すことなく説明し、何時間でも質問に応じ、もう明日から誰もこのことを話題にもしなくなるというところまで、完全にケリをつけるべきだった。が、実際にはそれをせずに、本論説などの「小沢辞めるな!」の叫びを無視して疑似世論に屈し、昨年は代表を、今年は幹事長をと2度までも辞任し、そしてまた今回は敗北した。
仮に今回、小沢が勝って首相になったとしても、その問題にケリをつけていない以上は、状況は同じかもっと悪くなるはずで、それが分かっているから彼は最後まで立候補をためらった。彼が出馬表明をしたのは8月26日だが、その前日にこういうことがあった(9月1日付読売)。

「出馬表明前日の25日夕、小沢氏はひそかに衆院第2会館にある旧民社党系グループの田中慶秋衆院議員の部屋を訪ねた。『今は出るべきではない。"政治とカネ"の問題は予算委員会で追及されるし、(参院で)問責決議が可決したら、衆院解散に追い込まれますよ』と助言する田中氏に、小沢氏は『よく分かっている』と慎重な面持ちで答えた。そして『民社党系グループで、誰か代わりに擁立してもらえないだろうか』と続け、ある議員を名指しして調整を要請した。結局、名指しされた議員が拒否し、この構想は幻に終わった」
小沢が名指したのが川端達夫か中野寛成か松木謙公か誰かは分からないが、ともかく彼は自分で出たくなくて、最後の最後までダミーを立てようと足掻いた。同じ読売記事によると、30日に小沢は連合幹部からの電話に答えて「若い連中がヒートアップしてしまっているので、のっぴきならないのかな、という感じだ」とも言っている。
この問題に足を取られていつまでもそんな思いをするくらいなら、なぜ小沢は自分できっぱりとケリをつけなかったのか。私は小沢の信者ではないが相当な理解者だと思っているけれども、このことばかりは終始、理解不能である。

●広義の「政治とカネ」の問題
以上は、狭義の「政治とカネ」の問題である。が、それとは相対的に別に広義の「政治とカネ」の問題があって、それは「政治文化」ということに関わっている。
狭義の「政治とカネ」問題、すなわち陸山会事件には、小沢本人はもとより秘書や元秘書も逮捕されたり起訴されたりしなければならないような違法な事実はなく、村木局長事件と同様、検察によるデッチ上げである。しかし、陸山会とその活動そのものは架空でも何でもなく、小沢の"剛腕"を支える実体構造である。小沢が個人で建設業界など企業から巨額な献金を集めて、書生まで含めると50人に及ぶとされる秘書軍団を抱え、それらを住まわせるマンションだかアパートまで所有して育成し、いざ選挙となればそれらを選挙活動や組織工作のプロとして自派候補の重点区に投入して当選を確実にして勢力を拡大していくという、まさにかつて自民党内で猛威をふるった田中角栄軍団のそれと瓜二つの仕掛けを、我々はこの一件を通じて垣間見ることになった。
加えて「組織対策費」の問題がある。そのようにして勢力を拡大してやがて党首や幹事長のポストを握るということは党財政を握るということであり、そうすると今度は、個人や派閥のカネだけでなく党のカネの一部をも「組織対策費」という名目で裏に回して、党首もしくは幹事長の裁量で誰にも妨げられることなくダイナミックに活用してますます党内権力基盤を固めていく。小沢は自民党を離れて以降も一貫してこのやり方を続けてきていて、報道されただけで自由党時代に35億円、新進党時代に41億円、民主党代表になった06年から今年6月までに36億円という「組織対策費」を操っている。
そこに貫かれているのは、政治とは力であり、力とは数であり、数とは詰まるところカネであるという田中角栄由来の明確な政治哲学である。「当たり前だ。何が悪いんだ。民主党のヒヨコどもに何とか政権を獲らせるために小沢が全部自分で引っ被ってやっているだけのことじゃないか」という声が聞こえてきそうで、それはそれで民主党の現実を見れば一理あるのだが、敢えて奇麗事を言えば、これはいかにも旧態依然の「古い政治文化」であって、民主党に限らず日本の政治がいつまでもこういう手法に頼らなければ動かないということでいいのかどうか。党のカネをダイナミックに動かし、選挙や組織工作の(昔風の言葉では)「オルグ」機能を持ったプロを育てることも必要だが、それは近代的な組織政党として当然やるべきことであって、誰か特別の剛腕者個人に託さなければならないことではない。
鳩山由紀夫前首相が辞任に際して小沢を道連れにした上で「クリーンな民主党に戻したい」と言ったのはそのことであり(しかしこの辞め方は正しくなかった)、また後を継いだ菅が「1つの時代を築いた小沢氏をこれからも頼っていくのか、みんなで1つの時代を乗り越えていくのか、時代の節目に立っている」と語ったのもそのことである。小沢はそれに怒り、幹事長ポストを取り戻そうと謀り、それに失敗して自ら立候補せざるを得なくなり、そして敗れた。ということは「1つの時代」が確実に終わり始めたのである。

●小沢一郎という矛盾
考えてみれば、小沢一郎も矛盾に満ちた存在である。共同通信の西川孝純=特別編集委員が「拝啓小沢一郎様」という今回代表選の後のコメントで引用していたので思い出したのだが、私も親交があった故早坂茂三がよく「小沢一郎の悲劇」という話をしたものだった。西川は、小沢がこの20年間、常に政局の舞台回しを演じてその存在感で右に出る者はなく、昨年の政権交代もその手腕によるところが大きいと述べた上で、次のように言う。
「あなたの政治の師である田中角栄元首相の秘書だった早坂茂三氏(故人)の著書に『政治家は"悪党"に限る』があります。同氏は『日本の政治家で職人と呼べるのは小沢一郎だけだ。だが、これは悲劇だ。他に誰もいないため、52歳の一郎がキングコングのように虚像化され、実体以上に騒がれ、冷酷、非情、金権という目で見られている』と書きました」
「68歳になった現在まで、あなたを取り巻く状況は変わっていませんね。実像を伝えきれないのはマスコミの努力不足であり、さまざまな局面で説明を怠ってきたあなた自身の責任でもあります」
その通りで、小沢が政局を動かす職人的達人であることは確かだが、その剛腕ぶりが実像以上に虚像化されて、彼を非難する者は「諸悪の根源は小沢だ」と言い、賛美する者は「小沢が立てばすべてがたちまち解決する」かのごとく言うけれども、実はどちらも同じ虚像を反対側から見ているに過ぎなかったのではないか。小沢自身は、自分自身について言われているいいことと悪いことの全部とは言わないが少なくとも半分は神話であることを熟知していて、だからこそ自民党時代も民主党時代も、進んでNo.1の座を獲りに行くよりもNo.2にいて裏で操ることを選ぼうとしてきたのではないか。今回、周知のような経緯で広義の「政治とカネ」の実体構造までが露頭し始めたこともあって立たざるを得なくなり、ということはしかし、自らNo.1となればよくも悪しくも一層その実体を晒さなければならないということであり、そこに最後の最後まで彼が立候補をためらった理由があったのではないか。

小沢神話は終わっても、もちろん政治家=小沢はまだ終わらないし、周辺には「どうせ菅は長くもたないから次のチャンスを待とう」という考えが強い。上述の西川は「あなたのキャリアと知見は貴重です。負けた悔しさをぐっとのみ込み、菅さんを支えてこそ大政治家です」「融和のために率先して小沢グループを解消する度量をみせてほしい」と勧告するが、なかなかそんなふうには収まらないのが小沢である。かと言って、グループを率いて反主流化して菅下ろしを仕掛け、再び小沢が立って敗れれば党分裂、政界再編成......といった『日刊ゲンダイ』あたりが大好きなドタバタのシナリオは、国民の多くはうんざりで、見たいとは思っていない。その狭間にあって、しかも菅率いる民主党が「小沢が築いた1つの時代を乗り越えて」行こうとする"脱小沢"ならぬ"超小沢"の方向へと布石を打ってくるのを眼前にして、小沢は果たしてどう次の一手を編み出すのだろうか。

【News spiral・高野孟】



民主党を粒さに観察していた高野氏の論説だけに面白い内容です。
by kura0412 | 2010-09-17 08:46 | 政治 | Comments(0)


コラムニスト・鞍立常行が日本の歯科界に直言


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ミラー片手に歯科医師の本音

『口腔健康管理とかかりつけ歯科医』

今回の改定を医療全体的にみると三つの注目すべき特徴がありました。一つは伸び続けていた調剤には厳しい結果となったこと。7対1の入院基本料の要件の厳格化。そして改定の中で「かかりつけ」という概念が明確に組みこまれまれました。
「かかりつけ」に関しては医師、薬剤師に加え歯科でも導入されていますが、「かかりつけ歯科医」はあくまでも「保険用語に一つ」というイメージがあります。しかしながら医科、薬科ではこの「かかりつけ」を軸に医療体制の新しいイメージを描きつつ、今後の政策を積み重ねる意気込みを感じます。そこにあるのは、地域包括ケアの推進がベースにあっての考えです。例えば、今回の改定では紹介状のない大病院の初診・再診料自己負担は大幅なアップとなりました。また、調剤の方ではかかりつけ薬剤師指導料算定をきっかけに、患者とのコミニュケーションを密に図ろうとする試みを目指します。
一方、医療政策として改定と対をなす基金は、歯科医療の環境整備にも益々重要な意味を持ちます。ただ、今回改定の中でも可能性の秘めた項目としていくつか点数化は見られましたが、基金が改定とリンクすることなく、独立しての事業になっている印象は拭えません。限られた予算の中でのやり繰りです。W改定に向けての改定と基金との相乗効果を目指す為の戦略と、それに沿った事業の立案が必要となってきます。
包括ケアを視野に入れての「かかりつけ歯科医」でポイントとなるのが口腔ケアです。その有用性は医科からも視線が注がれています。然るに、口腔ケアという言葉が、ブラッシングのみの狭義に捉えられている現状があり、本来の口腔ケアの意味する嚥下機能も含めた口腔全体を管理する視点の広がりが不足しています。その観点からみると、今回日本歯科医学会が「口腔健康管理」と称した新たな口腔ケアの概念の提唱は機知を得た提案です。摂食機能療法などを加えた従来の歯科治療を「口腔機能管理」、歯石除去、PTCなど歯科衛生士の実施するエリアを「口腔衛生管理」、そして一般の方が実施する口腔清拭、食事介助などを「口腔ケア(狭義)」として、この三点を総じて「口腔健康管理」としました。
広義の口腔ケアとして定義する考えは、真の意味での「かかりつけ歯科医」が目指す所です。既にW改定に向けての作業が進む中で、この概念を一日も早く歯科界内部で意見の確認をしながら、国民への認知を広めなければなりません。
日医はかかりつけ医機能研修制度を創設し、独自の「かかりつけ医」というものを推し進めようしています。そしてその講習の中に「かかりつけ医の摂食嚥下障害」のメニューも組み込まれています。また、地域包括ケアに向けた「かかりつけ連携手帳」の作成に着手し、そのスピードは目を見張るものがあります。『かかりつけ歯科医』、『口腔健康管理』、『摂食嚥下障害』のキーワードは、地域包括ケアの中で育ちそうな芽であることは間違いありません。残す課題は、地域包括ケアを主導する日医、地区医師会との更なる連携の強化と事業実現に向けてのスピードを加速させることです。




『食べる=生きる』

地方消滅で日本の少子化高齢化に対して大きな警笛を鳴らした日本創成会議が「高齢者の終末医療を考える」と称したシンポジュウムを先日開催しました。その議論を聞くに、地方消滅と終末医療?そんな一見結びつかない二つが、これからの日本の大きな課題となっています。それと共に、改めて人の死という死生観を医療分野の一角に位置する歯科医師として、見つめ直す時期が今あるものと感じます。
高齢化になって、いわゆる寝たきり老人に対していろいろな考え方が示され、特に胃瘻の是非については大きな意見が分かれるところです。欧米においては日本で常習化している高齢者、寝たきり老人への適応が少ないとのこと。この点に関しては中医協でも前回の改定では、嚥下検査の有無によって評価を変えるという対応がなされ、また今回の改定での議論では、その経過の調査結果も示されています。しかしその一方、この問題が話題になって、胃瘻によって日常生活が暮らせるレベルになる患者さんまで拒否するような実例があり、医療現場その対応に苦慮する場面が多々見られる話も聞きます。
この問題は、医療、介護費増大から語られることが多かったのですが、タブー視されていた死に対する考え方が社会問題の遡上に挙がっていることは、大きな時代の変化として捉えられます。そして、食べることは従来から歯科界も提唱するように、単に延命だけが目的ではありません。生きていることの喜びを感じる、人間としての尊厳に係わる重要な日常生活の一つなのです。
医療関係者以外でも「食べる=生きる」を唱える人がいます。「食べることは、呼吸と等しく、いのちの仕組みに組み込まれているもの。」とは、料理研究家・辰巳芳子氏が唱えている私の好きな一文です。そして欧米での判断基準となる「食べる」ことの有無が延命治療の是非判断の基準となる考え方は、経済問題を抜きにしてもその専門家集団である歯科界の属するものが改めて真摯に議論し、一つの考え方を社会に示す責務があると考えます。
然るに、だかからといって歯科界が社会の先頭に立って、自らが死生観の変更を訴える必要はありません。これは社会全体で既にうごめく潮流であり、歯科界はあくまでもこの分野に特化した専門家として食べることの重要性、必要性を改めて世に唱え、それを臨床の場で実践を積み重ねれば良いのです。果たしてこれをも医科が歯科から奪い取り、領域拡大を目指すのでしょうか。
この死生観の議論の推移を見守ると共に、食べることへの支援を更に強める為に、摂食嚥下への歯科領域からの積極的なアプローチが必要となってきています。何故ならば、咀嚼と嚥下は対となって多くの結果を導き出すことが立証され、食べることを特化した専門家としての医療人としては、現状のままでは取り組みが不十分だからです。歯科医療は新たなる視点をもって社会に貢献する時代の到来です。あとはそれを導き、フォローする具体的な政策を積みかさねることです。歯科医療は真の意味での生きる喜びを支援する世界を導きます。



『飲み込みは大丈夫ですか』

基金における事業が一つのきっかけとなって、在宅診療、医療連携が新たな展開に進み始めています。それぞれの医療環境の実情を踏まえて、地域独自の取り組むこの基金を利しての新たな事業は、診療報酬と対になるこれからの歯科医療全体へ大きく波及する政策です。そしてこの基金は、来年度において今年度予算規模に介護関係が上乗せされる計画となっており、医療介護の垣根を越えた地域包括ケアシステム構築としての発想が必要となっています。
歯科における在宅診療の中心は、従来の診療所における診療の延長としての義歯調整から始まり、口腔ケアの対応へと進んでいます。口腔ケアの効果は、既に誤嚥性肺炎予防という観点から医科の関係者は元より介護関係者にも認知されています。それに加えてここきてスポットライトが浴びているのが、今回の基金でもいくつかの地域で事業が計画される摂食嚥下の分野です。
しかしながら、介護保険の認定審査項目にも「えん下」という項目がありながら、実際に摂食嚥下の対応は、一部の大学病院、リハビリテーション、耳鼻科があって積極に取り組んでいる病院以外、殆ど対応出来ていないのが介護、医療の世界の現状です。その理由は簡単です。採算が合わないからです。特に歯科においては無報酬に等しい状態です。
 嚥下の対応は、適応が少ない耳鼻科領域の手術以外その改善方法の中心は訓練、姿勢の改善、食形態変更のアドバイスなどで薬の処方もありません。検査も歯科では保険算定が認められていない内視鏡・造影検査と問診を中心としたスクーリングテストです。近年、摂食機能療法が歯科でも算定可能となりましたが、それは鼻腔栄養、胃瘻増設患者に限定されており、重度になる前の本来対応が必要な患者さんには算定出来ません。
そしてもう一つこの分野を歯科が推し進めるハードルとなるのが、隣接する医科の反応です。現在、摂食嚥下リハビリテーションは歯科医師を中心としたアプローチと耳鼻科、あるいはリハビリテーション科の医師を中心としたアプローチの二つがあります。本来ならば他の疾患でもあるように医科が歯科は口腔内のみと突っぱねるところですが、儲からない中で耳鼻科医の成り手が減少し忙しく手が回りません。それと共に、「摂食・嚥下リハビリテーション学会」の「・」がなくなり「摂食嚥下リハビリテーション学会」に名称を変えたように、嚥下と摂食、咀嚼は一連の動作であり、咀嚼のプロである歯科医師を係わりから排除することは出来ません。咀嚼して嚥下することによって食べることが出来るのです。
もし、嚥下を歯科の領域と社会から認知されれば、歯科診療所が「食べる」ことの社会ステーションと成り得ます。口から食べることへの支援が生きる為、生活を支える源であることが歯科診療所から発信が可能と成ります。したがって報酬的評価は低くても、嚥下に問題ある人が歯科診療所に相談することへの広がり目指し、その実現に向かっての政策を積み重ねる必要があります。先ずは先生方が診療所で「飲み込みは大丈夫ですか」の一言を問える環境作りがその第一歩です。




『この道しかなかった中で』

この原稿を書いている今、衆議院選挙の結果は分かっていません。しかし事前の各マスコミみれば自民党圧勝予測です。選挙は投票箱が閉められるまで何が起こるか分かりませんが、少なくても安倍退陣はなく、任期2年を残しての安倍首相の解散の決断は見事成功となりそうです。
メディアは大義ない解散と騒ぎましたが、今回の安倍首相の解散目的は明確です。日本の経済再生を目指し、自らが提唱したアベノミクスの敢行の為の長期政権への道を切り開くことです。無論、長期政権となってもアベノミクス成功の確定はありません。しかし野党からは、アベノミクスに代わって日本経済再生を可能とする具体的な対案は示されませんでした。マニフェストに踊らされて政権交代を選択したことを悔やむ多くの有権者は、その提示なしで現在の野党にもう投票することは出来ません。また第三極への期待感も、離れたりよりを戻したりの腰の落ち着きのなさを感じ、一時のブームに終わりそうです。となると自民党のキャッチフレーズ「この道しかない」、安倍政権に託すしか今回の選挙では有権者に選択肢がなかったことになります。では長期政権となるこれからの政治情勢を踏まえて、歯科界はどう安倍政権と向き合わなければいけないのでしょうか。
今回の総選挙でのマスコミの世論調査では、有権者は社会保障に対しては経済再生と並び非常に関心をもっていましたが、その政策論戦は殆ど成されませんでした。特に自民党が示した政策は、医療に関してはないも等しいような扱いです。唯一あったのが、既にスタートしている社会保障改革のプログラム法案のスケジュールに則って進めるということです。但しこのプログラム法案の対となす消費税増税が延期となったわけですので、そのスケジュールの変更は必要になってきました。恐らく16年度改定に対しては、これを理由に財務省から厳しい対応を迫られるのは必至です。
この現実の意味するものは、現行の医療制度、水準を是とする考え方がベースにあります。消費税増税、経済再生となって税収が増えたとしても、けっして医療の大幅な拡充が成されるわけではありません。それどころか、もし経済再生と成らなければ医療費はそぎ落とされる可能性もあります。これからは少子高齢化、財政再建を踏まえて、いかにレベルを落とすことなく現行の医療を保つことへの模索が始まります。しかしながら理不尽な政策に対して、責任ある医療人として対応することは当然であり、大きな改善が必要な歯科と、既に一定の医療経営環境を維持している医科とでは立ち位置が異なります。先ずはこの点への内外の理解を求めることがスタートとなります。
選挙終わるのを待って各種医療政策への対応が加速的に進みます。幸いにして政治の世界では現在の歯科医療の現状は理解されつつあり、一つ一つの政策毎の対応スタンスが求められています。果たしてこの道しかなかった中で、歯科界はどう歩みを進めるべきなのでしょうか。歯科界の政策対応能力と政治力の真価が問われています。




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