医療、介護の成長戦略での新たな考え方

伊藤 元重 東京大学大学院経済学研究科教授
成長戦略と経済資源の効率活用

政府が成長戦略を打ち上げ、自民党など他の党も成長戦略を出してきている。
長く続く閉塞感から脱して成長率を高めていくのには何が必要なのか、これから国民レベルで様々な論議が展開されることを期待したい。
ただ、世の中の成長に関する論議を聞いていて少し気になっていることがある。たとえば、「医療や介護などの分野を強化して、本当に日本経済の成長につながるのか」という意見を聞くことがある。たしかに、介護の分野が典型的だが、ハイテクを駆使した産業というよりは、人間の力を活用した人海戦術的な色彩が強い。医療でも、高度の医療機器や医薬品開発など一部の分野はイノベーションに深く関わっているものの、医療の大半はそれとはかけ離れた世界である。医療や介護の分野を強化していくことは大切かもしれないが、それは成長戦略とは関係ない、という議論が出てきてもおかしくない。

○すべてが機関車でなくても
ただ、私はそうは考えない。経済を列車のようなものと理解する必要がある。列車の車両はすべて機関車である必要はない。機関車がなければ列車を走らせることはできないが、多くの車両は客車であるのだ。多くの乗客が安全かつ快適に乗車できることが列車の本来の目的であり、機関車は車両の一部でよい。すべての車両が機関車であったら大変だろう。
経済にも似たような面がある。日本経済の成長を引っ張る産業が必要であることは確かだ。しかし、すべての産業がイノベーションで日本の経済を引っ張る存在である必要はない。優れた経済とは、一方でイノベーションによって社会を引っ張る産業が存在すると同時に、他方で国民の多くの雇用を支え豊かな生活を提供する産業が存在する、というような形をとるはずである。

○少子高齢化が進む中で
日本では急速に少子高齢化が進んでいる。医療や介護への国民のニーズが高まっていくのは自然なことである。それだけでなく、国民の医療への質の要求はさらに高まることが予想される。疾病の治療という従来の医療はもちろんのこと、できるだけ健康で安心な人生を歩みたいという、QOL(生活の質:quality of life)の向上が求められている。そこでそうした分野でより多くの雇用が生まれていくことは、日本経済全体にとって必要なことであろう。

○人材、資金は有限
ただ、それでも日本経済の成長のためには、医療や介護の分野の効率性を高めていくことが必要である。経済の大原則であるが、人材、資金などあらゆる面で経済資源は限られている。有能な人材や貴重な資金をできるだけイノベーションを起こすような産業に置いておきたければ、それ以外の産業や分野でも経済資源を徹底的に効率化して活用しなくてはならないのだ。
経済の機関車の部分に対応するイノベーションを起こす産業の候補はたくさんある。環境がらみの技術、原子力発電所・新幹線・水浄化施設などのインフラ関連、エレクトロニクス分野、バイオやナノなどである。こうした分野で技術的な革新を続けられると同時に、それをビジネスとしてどう定着させていくのかということが成長戦略の鍵となる。
イノベーションを起こす産業が発展するためには、優秀な人材がより多くそうした分野に集まることが必要だろう。理系の優秀な学生がすべて医学部に集中してしまうというようなことでは困る。医療や介護の分野で効率性を高めていくことの必要性の一つの理由は、ただでさえより多くの人材がこうした分野で必要になる中で、少しでも優秀な人材をイノベーション分野に回すことが必要であるからだ。

【あらたにす】



成長戦略としての医療や介護の位置づけに対して、非常に興味ある新たな考え方だと思います。
by kura0412 | 2010-07-06 11:43 | 医療政策全般 | Comments(0)