日本の歯科界を診る(ブログ版)


コラムニスト・鞍立常行が日本の歯科界に直言
by kura0412
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民主党のブレーンが日医会長選挙を

日本医師会会長選挙を振り返る
上 昌広

【日本医師会長】 
4月1日、日本医師会会長選挙が行われ、茨城県医師会長の原中勝征氏が、第18代会長に選出された。森洋一氏(京都府医師会長)、唐澤祥人氏(前日医会長)を僅差で破っての当選だ。

多くのメディアは、このことをトップで扱った。確かに、日医は自公政権を支えた代表的な業界団体で、政権交代後の対応に多くの国民が関心を持っていた。また、自公政権を支持してきた唐澤氏、政治とは距離を置くと言いながらも、前原大臣などの京都出身の有力議員と親しい森氏、さらに昨年の総選挙での民主党大勝利に貢献した原中氏の争いは、与野党の代理戦争の様相を呈した。マスメディアが関心を持つのも当然だ。今回は、日医会長選について解説したい。

【原中会長の経歴】 
今回の医師会長選挙は、原中新会長のキャラクター抜きでは語れない。

原中氏は1966年に日大医学部を卒業した内科医だ。卒業後は東大医科研の内科に勤務し、臨床・研究に従事した。この間、TNF-αの研究で世界的な業績を挙げ、米国科学アカデミー紀要(PNAS)などの一流誌に多くの論文を発表している。このような活動が評価され、1990年には東大医科研内科助教授に昇格した。当時、東大卒以外が助教授に就任するのは極めて異例だ。しかしながら、助教授就任後、直腸癌を患い、1991年に茨城県の医療法人杏仁会大圃病院理事長・院長に転職した。詳細は分からないが、東大内部での学閥争いも関係したという噂だ。
その後、原中氏は茨城県の地域医療に専念し、1998年に茨城県医師会理事、2004年には茨城県医師会会長に就任する。茨城県と言えば自民党王国。古くは梶山静六氏から丹羽雄哉氏、額賀福志郎氏などの大物議員を輩出している。そして、長年にわたり自民党茨城県幹事長を務めた山口武平氏がいた。余談だが、山口氏の先輩には小幡(菱沼)五朗氏がいる。血盟団事件で団琢磨を銃殺し、服役。その後、右翼活動を離れ、茨城県議会長になった人物だ。1990年に亡くなるまで茨城県政の重鎮として活躍した。原中氏は、このような武闘派に囲まれた環境で実力をつけていった。
彼に転機が訪れたのは、2007年の参議院選挙だ。当時、日医の理事であった原中氏は、日医推薦の武見敬三候補ではなく、郵政選挙で落選していた国民新党の自見庄三郎候補を応援し、当選させた。一方、武見候補は落選し、日医の凋落ぶりを印象づける。この頃から、原中氏と民主党の付きあいが始まったと言われている。

さらに、2008年4月、後期高齢者医療制度が施行されると、茨城県医師会は「高齢者切り捨て」と反対の論陣を張った。地元で署名活動を展開し、原中氏は民主党の参考人として国会に登場した。日医幹部が野党の参考人になるなど、前代未聞だ。また、後期高齢者医療制度を推進したのは、地元選出の厚労族の大物 丹羽雄哉氏だから、自民党王国に正面から喧嘩を売ったことになる。
その後の展開は、皆さんご存じの通りだ。2008年9月には茨城県医師連盟(医師会の政治組織)が民主党支持を表明。2009年6月には、茨城県医師連盟会員ら1266人が自民党を集団離党した。このような動きは広く報道され、総選挙での民主党の地滑り的勝利に貢献した。茨城県では7選挙区中、5選挙区で民主党が勝利し、原中氏と対峙した丹羽氏は落選し、総選挙の責任をとり山口氏は引退した。
総選挙後、原中氏は管国家戦略担当大臣(当時)から国家戦略局入りを打診されたそうだが、断ったらしい。そして、日本医師会会長選挙に立候補することを表明した。

【地域住民へ訴えた原中戦略】 
私は、原中氏が総選挙で果たした役割を高く評価している。茨城県医師会は後期高齢者医療制度に反対して以来、街頭に出て、住民に医療問題を訴え続けた。原中氏たちの懸命な訴えが、茨城県民の投票行動に結びついた可能性は高い。

このような戦略は、従来の日医とは反対だ。日医は選挙のたびに、会員・家族の票をまとめて、与党候補を応援してきた。そして、選挙が終わると、与党と交渉し、自らの要求を実現した。住民や患者に対する配慮が希薄で、政治力に頼る姿勢が国民の反感を買ってきた。
また、「武闘派」が揃う茨城県で自民党に反旗を翻すのは、強い覚悟が必要だっただろう。なかなか出来ることではない。一致団結して闘い抜いた茨城県医師会の胆力・行動力に敬意を表する。

【代議員制】 
原中氏率いる茨城県医師会の実力は誰しもが認めるところだ。ところが、日医会長選挙は原中氏の思惑通りには進まなかったようだ。その理由は、日医会長選が代議員制で行われたためである。

日医は、郡市医師会・県医師会・日本医師会の三層構造から成り立ち、代議員の選出は都道府県医師会に委託される。このため、日医代議員は医師会業務に長年貢献した高齢者が選ばれることが多く、代議員の合意が医師会の総意を反映しないことがある。その典型例は、医療事故調論争や、昨年の総選挙での自民党支持だ。

【代議員たちの思惑】 
今回の会長選挙での代議員の関心は、1)政権との関係修復、2)自派閥の権力維持にあったと思われる。

まず、最大の目的である「政権との関係修復」を実現するには、原中氏を会長にするしか選択肢はなかった。もし、原中氏が敗れれば、小沢幹事長たちが、どのような報復に出るかわからない。確かに、会長選挙は熾烈を極めたようだが、最終的に原中氏が勝利したのは、予定調和的な側面があったように感じる。
問題は「既存グループ間の利害調整」だ。これには様々な思惑が交叉した。例えば、森陣営の多くは唐澤体制での執行部を務め、本来、両者は近い関係だ。唐澤・森陣営こそが日医の主流派で、原中陣営は非主流派というほうが妥当かもしれない。このように考えれば、今回の選挙で、森氏が出馬し、唐澤氏を支持しなかったことは、主流派内での世代闘争という見方も可能だ。これ以外にも、数々の代議員同士の人間関係が漏れ伝わる。

【キャビネット制の廃止】 
今回の選挙の特徴は、「キャビネット制の廃止」だ。キャビネット制とは会長に選出された人物が、全ての理事を決めること。選挙への貢献度に合わせて理事ポストを配分することが出来るため、会長は絶大な権力を持っていた。

ところが、今回、このルールが撤廃され、3人の副会長、10人の常任理事も代議員による選挙で選ばれることになった。この場合、死票は減り、権力は分散することが予想される。会長選挙直前に、制度変更に合意するあたり、日医はしぶとい。
結果は予想通りだった。会長選こそ原中陣営が勝ったものの、副会長選挙は唐澤・森連合が候補を一本化し、二人の副会長を当選させた。残りの一つは古き日医の象徴とも言える羽生田氏が滑り込む。
また、常任理事についても、原中陣営が独自に推薦した候補5人のうち、当選したのは2人だけだった。3人は森・唐澤陣営推薦。残りの5人中、4人は原中陣営と森・唐澤陣営が相乗り。わかりにくい構図だ。

【国民不在の数合わせ】 
選挙を通じて、全ての陣営の顔を立てたのだから、日医の調整能力は見事と言うしかない。

しかしながら、代議員たちの振る舞いは、国民にはどのように映っただろうか。代議員の数合わせを通じたポストの分捕り合いからは、国民が悩む医師不足や救急車たらい回しなどの問題を解決しようとする熱意は感じられない。副会長や常任理事の中に、このような問題に真剣に取り組んでいる人がいないからだ。
また、原中氏は、当選後すぐに小沢幹事長との親密さを強調し、4月2日には原中氏が小沢幹事長と面談したことが報道された。この光景は、多くの代議員たちに希望を与えただろう。「これで与党に戻ることができた」と。
ところが、小沢氏の関心は、医療ではなく選挙にあることは明らかだ。来る参議院選挙で、日医が民主党を応援すれば、小沢氏は診療報酬を増やしてくれるだろう。だが、果たして、これで良いのか。これでは、国民がノーを突きつけた自公時代と何ら変わらない。

【日医は医療政策に関心があるのか】 
そもそも、日医は医療政策に関心があるのだろうかと疑わしくなるいことがある。野党時代から、民主党の医療政策をリードしてきたのは、仙谷由人・足立信也・鈴木寛氏らだ。総選挙のマニフェストも、彼らが中心となって作り、政権交代後は診療報酬増額、救急・産科・外科の重点化、医師養成数増員、高額医療費の患者負担見直しなど、マニフェストを着実に実現してきた。マニフェスト評価の老舗 言論NPOが発表した「鳩山政権の100日評価」では、全分野の中で医療がもっとも高く評価されている。

ところが、一部の日医代議員は仙谷由人・足立信也・鈴木寛氏たちを「病院族」と批判し、原中氏は足立政務官の更迭を要求したこともある。日医は、依然として開業医の利益だけを追求しているように見える。
皮肉なことに、民主党の「病院族」が信頼する内田健夫氏は、森・唐澤陣営が推薦する副会長候補で唯一の落選となった。彼は、唐澤体制で常任理事を務め、バランスのとれた対応が勤務医からも信頼されている。日医が小沢氏とのパイプを重視し、実際に医療に関心がある議員には配慮していなかったことがわかる。

【情報公開・代議員制の廃止を】 
日医の置かれた状況は深刻だ。そもそも、日医の使命は、現場で働く医師を支援し、国民に良質な医療を提供すること。ところが、今回の選挙を通じて、代議員と一般会員の意識が乖離しているのは明らかとなった。これでは何のための業界団体かわからない。

私は、原中氏の日医改革の第一歩は、代議員制の廃止と考える。情報通信が発展した現在、重要課題は会員の直接投票で決めるべきだ。しかしながら、代議員は権力の象徴。果たして、原中氏は代議員という権力に切り込めるだろうか?「豪腕原中」を興味をもってフォローしたいと考えている。

http://opinion.infoseek.co.jp/article/821
【内憂外患】



民主党の医療政策のブレーンの上 昌広氏の論文です。
by kura0412 | 2010-04-14 15:27 | 政治 | Comments(0)
ミラーを片手に歯科医師の本音
回想

本紙閉刊に伴いこのコラムも今回で最後となります。平成10年9月から19年間、筆が進まない時もありましたが、締め切りを遅らせることもなく、また大きなトラブルもなく終えることにある意味安堵しております。ただその中で一度だけで校正まで終えながら書き直したことがありました。それはあの「日歯連事件」と称された事件が勃発した時でした。
あの時は一人の開業医でしかない私が、社会事件になるほどの大事件に対して実名で書くことに躊躇しましたが、事件に対していろいろな観点から憤りを感じ、もし問題となれば歯科医師を辞める覚悟をもって書きました。この事件によって日本の歯科界に大きな変化があったことは多くの先生方が感じられたことです。今思えばその内容は別として、あの時書き綴っておいたことが、その後連載を続けられた源になっていたかもしれません。
然るに風化しつつあるあの事件の本質は何だったのか。その手法に対しては司法判断が下った結果が示されていますが、事件の根本には、現在も続く歯科医療に対する公的評価の低さを何とか打開しようと考え方がありました。この点を誰もが分かっているのに言葉に出ていません。但し結果的には中医協委員が1名減員、事件後の懲罰的な18年度改定となり、歯科界の思いとは反対の流れを作ってしまいました。特に改定では、それまでの改定時で、技術料を引き下げながら作った僅かな財源を「かかりつけ歯科医」初再診料に振り分けながらも、「かかりつけ歯科医」を一気に消し去られたことによって、保険点数全体が縮小したと共に、時代の流れである「かかりつけ歯科医」という名称、概念をも否定されることになってしまいました。そして事件によって植え付けられた歯科界の負のイメージは現在も引きずっています。
日本の歯科界は今、大きな分岐点に差し掛かかり、新しい息吹が入る機運も高まっています。但し、この負のイメージを引きずったままでは大きな壁が存在します。あの事件は終わったのでなく、まだ背負っており、それを回顧することで歯科界の課題を改めて見出すことが必要です。
残念ながら現在、日歯、日歯連盟共に入会者、特に若い先生の入会が減少しています。事件の影響、また、入会することへの利点を見出せず、医療環境向上寄与への期待が薄らいでいるからです。個人で個々の臨床現場での対応出来ても、政策を変えるには一つの塊にでなければパワーが発揮できないだけに、この問題は歯科界発展の最大の課題です。その為には、過去の問題となった出来事を背景も含めて改めて見直し、そして新しい目標を示す。それも抽象的でなく、具体的な分かりやすい政策を提示することで歯科界の展望が分かることで推進力の働きとなります。
最後に、本コラムを続けなければ会うことの出来なかった全国の先生方と交流できたことは、私の歯科医師人生としての財産となりました。そして、好き気ままに綴ることを甘受して頂き、連載を許して頂いた歯科時報新社・吉田泰行社長に感謝を述べ終わります。ありがとうございました。
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